「朝鮮 民族・歴史・文化」金 達寿著 岩波新書 1958

from 「海の向こうから見た倭国」高田 貫太著 講談社現代新書 2017
   「加耶と倭 韓半島と日本列島の考古学」朴 天秀著 講談社選書 2007
 「継体天皇と朝鮮半島の謎」水谷 千秋著 文春新書 2013 - いもづる読書日記

 

 前々からリストアップしていたのだが未読であった本書を朝鮮半島の通史を知るために読んでみた。本書が出版された1958年は朝鮮戦争の休戦からわずか4年、李承晩失脚の2年前である。済州島四・三事件についても十分な記述ができない事情がまだあったのか?最近の私の古代史マイブームの視点から歴史もだが、半島の地理に関する情報も有益だった。裏をかえせばそれだけ無知であるということ。「もともと百済は、当時の朝鮮諸国のうちではもっとも恵まれた土地のうえでさかえたものであり-中略-文化の程度も高かった」(48ページ)が、「斯く高句麗百済の文献が湮滅に帰したのは新羅が二国を併合したことが大原因」(174ページ、高橋亨『朝鮮文化の研究』からの引用)であり、残念である。
 著者は「実は私はここで白状するが、私がもしこの自民族の歴史について少しでも誇りをもっているとすれば-中略-それは、実にこの奴婢・農民といった最下層民によって絶えることなくくりかえされた反抗・叛乱である。-中略-だが、それは、のちの李朝末期の東学等の乱といわれた東学農民戦争もそうであったが、そのつど鎮圧された。鎮圧はされても、それが、常に、この国の歴史を変化させおしすすめてきたことは否むことのできない事実である。」(70ページ)と述べている。なるほどかの国の歴史は我が国に比べダイナミックでエモーショナルに感じる。

「継体天皇と朝鮮半島の謎」水谷 千秋著 文春新書 2013

継体天皇と朝鮮半島の謎 (文春新書 925) - はてなキーワード

 

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 朝鮮半島前方後円墳マイブームの一環で読んでみた。古墳の副葬品から被葬者の生前活動をたどる考古学的研究の成果をふまえて、継体天皇の実像を描こうとした書である。
 継体天皇は「子どものなかった武烈天皇崩御し、王位を継ぐべき王(大王を父に持つ男王の意)がいなくなったのを受けて、応神五世孫の継体を近江から上京させ、仁賢天皇の皇女手白髪命と結婚させ、王位を授けた」(20ページ)という謎の人物である。著者は継体を「当時の政治の中心の大和・河内から離れた近江湖北の出身で、若狭、越前、美濃、尾張などを基盤として、物部氏や大伴氏、和爾氏、阿部氏ら中央の非葛城系豪族の支持を受けて即位」(236ページ)した人物と結論している。そして、百済(武寧王)と強い結びつきを持ち、任那百済割譲と引き換えに五経博士の派遣を促し、中国に学んだより整然とした政治制度を導入した人物像を描き出している。著者はこの政治史思想を「巨視的にみれば、それは「礼」の導入であり、文字による統治、文字化された精神文化への道を志向したもの」(235ページ)ととらえている。画期的である。
 また、継体期に起きた筑紫君磐井の乱を「かねてより中央から独立する動きを始めていた磐井を盟主とする北部・中部九州勢力に対し、内部対立をやっと収束させ、継体の下で一本化した大和政権が、ついにその時機をとらえて攻撃をしかけたのがこの戦いであった」(170ページ)ととらえ、阿蘇ピンク石による石棺の分布から九州勢力との交渉を担った氏族とそのダイナミックな経緯を類推している。私はその当否について述べることはできないが、推理小説を読むようなカタルシスを覚えたことは確かだった。
 武寧王の棺が日本にしか生息しない高野槇で作られていたことは当時の日本と朝鮮半島の関係を考える上で興味深い。