江藤淳という人 福田和也 新潮社 2000/06

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from 「エレクトラ―中上健次の生涯」 高山 文彦著 文藝春秋社 2007.11 - いもづる読書日記

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 図書館で吉本隆明江藤淳の対談「文学と非文学の倫理」を借りたのだがなかなか読めない。江藤淳というひとについて勉強しようと思って本書を読んだ。江藤淳は「白昼堂々小林秀雄の舞台を奪った」(150ページ、坂本忠雄氏の言)文芸評論家であり、その相貌や業績は本書において様々に活写されている。
 ながく江藤的な保守思想がどういうものか解らなかった。本書には下記の様にある。「近代思想が、つまり戦後日本の顕教としての民主主義が実現するのは全ての『被治者』を『治者』に引き上げる事であるはずだったが、戦後はそれを実現しなかった。国家を声高に批判しながら、その庇護だけは抜け目なく手に入れることが、戦後日本の民主主義だった。(中略)だが、放埓の傍らで、『被治者』たちを覆っていた甘皮は徐々に剥ぎとられて。崩壊してゆき、彼らは何者にも守られていない事を認めざるを得ない『新事態』に直面する。
 作家は(中略)好むと好まざるとにかかわらずなんらかのかたちで、『治者』の不幸な役割を引きうけるか否かという場所に追いつめられているように見える。『被治者』の姿勢に安住することは、概念と素朴実在論の世界に固執して、自己の内外におこりつつあることから眼をそらし、結局現代を無視することになるであろう。しかし逆に、『治者』の不幸を引きうければ、作家は別種の、おそらく前人未到の難問に出逢わなければならない。」(126ページ)

 つまりノブレスオブリージュということかなと思うが、かくの如き軽蔑と嫌悪の連鎖は、悪化する躁うつ病のように始末に負えない。自分が全くノーブルな人ではないからそう思うのだけれど。

 

韓国からみた古代日本 (古代の日本と韓国) 學生社 1990/8/1

 

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from 加耶と倭 韓半島と日本列島の考古学 (講談社選書メチエ) - はてなキーワード

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近所の図書館にシリーズ「古代の日本と韓国」というのが何冊かあったので、13巻を読んでみた。駐日大韓民国大使館文化院文化講座をまとめた双書だそうである。各巻のタイトルを紹介する。
1古代の韓国と日本
2古代日本と渡来文化
3古代の百済伽耶と日本
4古代の高句麗と日本
5古代の新羅と日本
6古代の高麗と日本
7考古学からみた古代の韓国と日本
民俗学からみた古代の韓国と日本
シャーマニズムと韓国文化
10韓国と日本の仏教文化
11韓国美術の伝統
12日本から見た古代韓国
13韓国から見た古代日本

「韓国から見た古代日本」には「日本神話の中の"韓国"」、「古代韓日両国の語文学」、「朝鮮半島から見た吉野ケ里遺跡」、「東アジアの中で見た古代韓国の金石文」の4編の論文が収められている。このなかで「日本神話の中の"韓国"」を興味深く読んだ。神功皇后新羅志向を「母郷回帰的」な「里帰り」とみる、これ自体が文学といえるような想像力豊かな論考であるが、「倭国の時代」における神功の海神ともとらえられるイメージと重なり合う部分も大きい。

ヒトはこうして増えてきた: 20万年の人口変遷史 (新潮選書) 大塚柳太郎 新潮社 2015/07/24

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まえがきから。「出生、死亡、移動に着目してヒトの歴史を見直すと、四つのフェーズに大別できます。第一フェーズは、ヒトが誕生の地アフリカの中で人口を穏やかに増した時期です。第二フェーズは、ヒトの祖先たちがアフリカ大陸から西アジアへ、そして地球の広域へ移住した時期です。第三フェーズは、ヒトが定住生活をはじめ、その後に農耕と家畜飼育を発明し、自然界の食物連鎖の制約から逸脱を開始した時期です。現在までつづく第四フェーズの引き金になったのは、ヨーロッパではじまった産業革命と人口転換です。人口転換とは出生率も死亡率も高い『多産多死』から死亡率だけが低下する『多産少子』を経て、最終的に出生率も低下する『少産少死』に移行することを指しています。」本書の1~4章に相当する第三フェーズまではよく描けていて、興味深い。本書の眼目である第四フェーズと将来像を題材とする第五章、最終章はデータを重視したせいか散漫で読みづらい。特に人口転換のメカニズムについて統一的な見解が述べられず、報文の紹介に終わっている感もある。中国の施策史も知りたいところだ。

 生物史的な意味、人類史的な意味を語って欲しいと思った。

日本史を精神分析する―自分を知るための史的唯幻論 岸田秀, 柳澤健 亜紀書房 2016/12/24

日本史を精神分析する―自分を知るための史的唯幻論 - はてなキーワード

 

 本書はプロレス本を立て続けに出している柳澤健が日本史の話題を提供し、これを岸田秀がいつもの調子で斬っていくというメインパートの後、岸田の筆になる「日本はなぜ戦ったか」と題する補論が述べられる。ほぼ全編を埋め尽くしているのはコンプレックスがドライビングフォースになった歴史の展開であり、その昔「ものぐさ精神分析」を読んで感じた感銘は得られなかった。
 補論では、「日米戦争で日本人はあれほど大きな犠牲を払って必死に戦ったのになぜ負けたのか」が考察される。岸田によれば問題はよくいわれる物量の差などではなく、作戦の拙劣さ、日本軍の組織の問題、犠牲を払って得られる栄光というヒロイズム、強気論が支配しがちな空気に迎合する性質、当事者の責任の不明確等々であり、「日本軍を必然的に敗北へと導いた構造的欠陥は現代日本の省庁、政党、企業、大学など、あらゆる組織にそのまま温存されていて、日々、想像を絶する多大の被害をもたらしている」(275ページ)。ある意味、こういう言葉が聞きたかった。独立国家として立ち上がりたいという望みがあるなら、過去と真正面から立ち向かう覚悟が必要なのは明らかである。そうでなければ、戦後というぬるま湯の中にいつまでもとどまり続けるしかない。

鳥類学者 無謀にも恐竜を語る 川上和人著 技術評論社 2013/03/16

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from 恐竜はなぜ鳥に進化したのか―絶滅も進化も酸素濃度が決めた (文春文庫) - はてなキーワード

  6度目の大絶滅 - はてなキーワード

to 楽しい終末 (中公文庫) - はてなキーワード

 タイトルを見ればわかるように著者は健筆、テーマもホット、でも「恐竜は~」や「6度目の~」のようなカタルシスを得られない。私がスレッカラシなのか?
 本書は巨大隕石の衝突による恐竜絶滅で締めくくられる。そして、「我々人類は叡智と楽観を駆使して、いずれ来る新生代末の巨大隕石衝突による大量絶滅イベントを乗り越えよう。そしてぜひとも次なる生物進化の様子を高みの見物と決め込もうではないか!」(265ページ) 科学は観察者を被観察系の外に置くことで成立する。しかし、たぶん高みの見物は実現しない。科学的必然に基づく未来予測は悲観でも楽観でもない。絶滅が人類史にあらかじめビルトインされているというのが我々にゆるされた傲慢で甘美な悲観である。というわけで、以前読んだ「楽しい終末」を読みたくなった。

永遠の吉本隆明[増補版] 橋爪大三郎著 洋泉社新書Y 2012年

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from 吉本隆明という「共同幻想」 呉智英著 筑摩書房 2012年 - いもづる読書日記

 吉本隆明のDNA - はてなキーワード

to 吉本隆明1968 (平凡社新書 459) - はてなキーワード

 こちらは橋爪大三郎のまっとうな吉本追悼本だが、成り立ちは呉智英本と共通するところもある。「吉本隆明のDNA」でも感じたが、吉本を語ることは自分史を語ることになりがちなようである。吉本の著作が吉本という人間と切り離されて理解される未来が来るのだろうか?

 橋爪はこのようにとらえる。「吉本さんは、外部の権威を信じない。権力を信じない。(中略)自分は個である。個人であり、何物にも制約されず自由である。そして文学を信じる。文学の理念を信じる。自分が何ものかを、語りうることを信じる。何ものかを語りえたときに、それが真実であることを信じる。それが何ゆえかというと、実際に自分の心のなかで、こういうことがほんとうに起こっている、それを信じる。」(87ページ)これを成立させるの吉本の強い訴求力をもつ詩的言語である。

吉本隆明という「共同幻想」 呉智英著 筑摩書房 2012年

吉本隆明という「共同幻想」 - はてなキーワード

from 吉本隆明が最後に遺した三十万字〈上巻〉「吉本隆明、自著を語る」 - はてなキーワード

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 若いころに「インテリ大戦争」を愛読した。吉本の名前も呉智英に教えて貰ったと思う。名古屋出身でない名古屋市民としては、呉や三遊亭円丈の不機嫌そうな顔を見ると名古屋人だなあと思う。この毒気が非名古屋人にも魅力なのであるがそればかりだと辟易としてくる。本書は吉本の言葉を平易に翻訳するなど著者一流の皮肉に満ちているが、批判本というほど腰の据わったものではない。そもそも市井の思想家、原理主義者といった点で呉と吉本は共通点が多いと私は思う。吉本に対する尊敬の欠如が本書に満載された皮肉を単なる皮肉にしていて残念である。照れているのだろうか?

 吉本隆明は敗戦という経験ともっとも真摯に向かいあった現代人だったのではないだろうか。「吉本隆明、自著を語る」を読むと苛烈な転向者、非転向者に向けた批判に込められたまっすぐな気持ちが伝わってくる。主知主義原理主義は戦争を生む。しかし、保守思想に流れず主知主義的思考を貫徹したのが吉本だったと考えている。