人工知能はどのようにして 「名人」を超えたのか?―――最強の将棋AIポナンザの開発者が教える機械学習・深層学習・強化学習の本質 山本一成 ダイヤモンド社 2017/05/11

人工知能はどのようにして 「名人」を超えたのか?―――最強の将棋AIポナンザの開発者が教える機械学習・深層学習・強化学習の本質 - はてなキーワード

 

 面白かった。将棋AIの「ポナンザ」開発者が、囲碁・将棋AIの現状について解説した本。キータームである機械学習、深層学習についても(皮相的ではあるが)よく理解できた。そういう意味では非専門家に便利な本といえるかもしれない。
 機械学習を組み込むことでAIは自分で強くなっていく。強くなる過程はブラックボックス化(黒魔術化)されるため、開発者はなぜ強くなったのかわからない。著者はこれを「『解釈性』と『性能』のトレードオフ」と呼んでいる。ブラックボックス化を経ることでこれからの知性のありようも変化する。近代の科学技術を基礎づけた因果律が意味を持たなくなる。著者は「還元主義的な科学からの卒業」と呼んでいる。コピーライター的なセンスも感じる。私が感じるのは解釈しないではいられない人間の業である。AIの打つ手をセンスや大局観と結び付けて少しでも解釈しようとする言葉が日曜日昼の教育テレビにはあふれている。いずれにしても、AIと人間の関わりを考える上でも囲碁・将棋というのはまたとないステージであった。
 もう一つ面白かったのは、画像解析が得意な深層学習に対してその他の情報を網羅的にタグ付けしていくと、AIは「知性」を獲得するという指摘だった。著者はさらに「知能の本質は『画像』なのか」とまで敷衍する。養老孟司は「唯脳論」で視覚と聴覚のインテグレーションによるバーチャルイメージの生成が人間の脳を爆発的に進化させたと書いていた(あやふやな記憶に基づいて書いているので乱暴な要約ですが)。脳内はタグ付けされた画像が多層構造で重畳され保存されていて、その接合/離反があたかも悪夢のように繰り返されているのかもしれない。
 著者は今後AIは必ず爆発的な進歩を遂げ、シンギュラリティ(技術的特異点)を突破して全く新しい世界が始まると予想する。「このまま技術的革新が続けば、少なくとも今世紀の終わりまでには、人工知能が人間から『卒業』し、『超知能』が誕生するのは確定的です」(199ページ)。アルファ碁がイ・セドルに勝ったと大騒ぎだった2016年を「のんきな時代だった」と思い出すのは間違いなさそうだ。

 

 

倭国の時代 岡田英弘 筑摩書房 2009/02/01

倭国の時代 (ちくま文庫) - はてなキーワード

From 対話 起源論 岸田秀 新書館 1998/07/03 - いもづる読書日記

To 日本史の誕生―千三百年前の外圧が日本を作った (ちくま文庫) - はてなキーワード

最近の私の古代史マイブームを中閉めした本である。著者は中国史の専門家だが、魏志倭人伝古事記日本書紀の成立経緯や史料的信頼性から見事な歴史像を描き出す。魏志倭人伝卑弥呼の魏の武将司馬懿への朝貢を描くことが目的、倭国の位置や政情は信頼できるものではない。日本書紀天武天皇の唯一の正皇后を自任し、一粒種の草壁の王子に皇位を継がせようとした持統天皇の父子相続イデオロギーを正当化するのが目的。古事記日本書紀から100年余りも後の平安時代に書かれた偽書。と、切れ味よく切ってすてられる。

 

初代の天皇仁徳天皇で彼の拓いた河内王朝は播磨王朝、越前王朝(継体天皇)にとって代わられる。また、これ以降も政権の変化は朝鮮半島の政情の強い影響を受けている。ことに、「660年に唐・新羅の連合軍が百済を滅ぼすと(中略)663年の白村江の戦いで、倭・百済連合軍は全滅し(中略)大量の亡命者が倭国に流れ込んだ」(351ページ)が、この翌年(辛酉の年)が日本成立の年と、日本書紀の編纂に関係した人々は暗示している。極めて明快である。


明快な本というのは警戒しなくてはいけないと思っている。だが、本書が私にとって里程標となったことは事実である。

 

吉本隆明1968 鹿島茂 平凡社 2009/05/16

吉本隆明1968 (平凡社新書 459) - はてなキーワード

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永遠の吉本隆明[増補版] 橋爪大三郎著 洋泉社新書Y 2012年 - いもづる読書日記

吉本隆明という「共同幻想」 呉智英著 筑摩書房 2012年 - いもづる読書日記

 

ここまでの吉本本の中で最も得る所が大きかった。皇国少年だった吉本隆明が敗戦によって裏切られた思いから転向論に向かって行ったことはよく知られる。吉本は、転向しなかった共産主義者こそ「現実社会というものを捨象した純粋無国籍の『無日本人』」であり、「非転向のほうこそ本質的な転向」と徹底する(82ページ)。その底流にあるものとして、「芥川龍之介の死」に描かれた社会とインテリの関係へと展開し(第3章吉本にとってリアルだった芥川の死)、そこから吉本生涯のスローガン「大衆の原像」論へと至る過程が解りやすく示される。ここでいう大衆とは「自分たちが生活する範囲以外のことには徹底的に無関心である存在」(347ページ)という抽象的なイメージということがよくわかった。吉本は紋切型の思考を受け入れず全てを自前の思考と用語法で再構築してきたから、多面的で粘り腰で強い、いや強かったと言えるかもしれない。

 

対話 起源論 岸田秀 新書館  1998/07/03

対話 起源論 - はてなキーワード

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日本史を精神分析する―自分を知るための史的唯幻論 岸田秀, 柳澤健 亜紀書房 2016/12/24 - いもづる読書日記

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倭国の時代 (ちくま文庫) - はてなキーワード

日本史の誕生―千三百年前の外圧が日本を作った (ちくま文庫) - はてなキーワード

官僚病の起源 - はてなキーワード

官僚病から日本を救うために―岸田秀談話集 - はてなキーワード

対話の相手とテーマは次の通り、山極寿一(父の起源)、岡田英弘(歴史の起源)、網野善彦(国家の起源)、今村仁司(近代の起源)、三浦雅士(幻想の起源)。岡田英弘に期待したがスウィングしすぎたようだ。網野善彦ポレミカルに議論を誘発する力が圧倒的だった。
岸田「かつて百済が日本のものだったのではなくて、半島で新羅に滅ぼされた百済が、列島で日本になったのではないか、ということが考えられる。日本の起源は百済だった。(中略) そこでできたのが、日本は天から降りてきた神様がつくった国だという天孫降臨の神話です。起源の隠蔽ですね。(中略)皇国史観がなぜ必要だったのかの心理的背景を引っ剥がしてみればそのように考えられるということなんです。」(85ページ)
岸田「もちろん、国家は弱体化した方がいいに決まっています。有害な存在ですから」
網野「国家の強くない時代もあったわけです。中世ですと、国家はそれほど強力でないから『はずれた』連中による組織ができているわけです。(中略)商業・通商の分野は本質的に国家を越えたものですね。その意味で資本主義は確かに国家を越えるものなんです。」(151ページ)

新しい世界史へ――地球市民のための構想 (岩波新書) 羽田正 岩波書店 2011/11/19

新しい世界史へ――地球市民のための構想 (岩波新書) - はてなキーワード

 

本書の著者はヨーロッパ中心の歴史観に中国史イスラーム史を接木した「日本の世界史」が気に入らない。著者はイラン史、イスラーム史の専門家に飽き足らなくなり、では大風呂敷を広げようかとなったらしい。その意気や良しである。そういえば私の高校の世界史の先生は史観が大事だと言っていた。「様々な史観があったが、現在(40年前)の主流は経済史観だ」と。マルクス派でも非マルクス派でも経済を契機に考えることで客観性が得られるという意味のことを言っていたと思う。
網野善彦は多くの業績を残し、「日本史の再発見」に大きな役割を果たした。彼の著作には常に多くの独自の視点が盛り込まれ、そこに網野史観とも呼べる筋が通っていたように思う。もちろん、史観が先にあったわけではなかろう。史料の渉猟と不断の思考から生み出されたものであろう。是非羽田史観が盛り込まれた歴史書が読みたい。

文学と非文学の倫理 吉本隆明;江藤淳 中央公論新社 2011/10/22

文学と非文学の倫理 - はてなキーワード

吉本隆明 江藤淳 全対話 (中公文庫) - はてなキーワード

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江藤淳という人 福田和也 新潮社 2000/06 - いもづる読書日記

永遠の吉本隆明[増補版] 橋爪大三郎著 洋泉社新書Y 2012年 - いもづる読書日記

吉本隆明という「共同幻想」 呉智英著 筑摩書房 2012年 - いもづる読書日記

「知の巨人」と「最後の文士」の対談、出版されたのは江藤の没後で吉本存命中、本年2月に中公文庫で再刊されているらしい(解説は高橋源一郎)。5回の対談が収録され、それぞれ1966年、70年、70年、82年、88年に行われている。
江藤は吉本より8歳年小だが、亡くなりかたもあってか随分早く古びたと感じる。本書を読んで私的には大いに評価が上がった。さながら剣豪の果し合いのようだが、切っ先は江藤が勝っている場面が多かった。たとえば、吉本はマルクスの思想の共同性は他者を必要としないということから、孤立的に存在した知識人の生み出した文化、文学が時代を本当に転換する、共同性になりうると述べる(59ページ)。これに対し江藤は「マルクスのことはよく知りませんけれど(中略)なぜそれだけ正確な世界認識が行えたのか(中略)それがキリスト教を逆転したかたちで西欧文化の根底、民俗学の底にあるようなものにまで触れていた。だからこそ後世あれだけの階級的憎悪を組織できた」(61ページ)と返す。ゾクゾクするほど鋭い。

「保守」とはたぶん現状変更の必要が無いという考えかたで、変えない方がましという諦念を背景にしていると考える。この点、保守「思想」とか保守「主義」というのは形容矛盾ではないだろうか。本書では「幸福」ということばが使われている。江藤「漱石という人は非常に孤独な人だったと思うけど、漱石の作品は不思議に読者を孤独にしない。(中略)それは彼が個体を越えるなにかの感覚をもっていたからではないか。」(68ページ)この感覚を幸福とか伝統とよんでいる。これを「江藤淳という人」とあわせてみると、書割めいた大衆社会への憎悪、失われた幸福への憧憬と単純化してみたくなるが、たぶん違うんだろうな。