つげ義春: 夢と旅の世界 (とんぼの本) つげ義春, 戌井昭人, 東村アキコ, 山下裕二 新潮社 2014/09/19

この間読んだ本。湯宿温泉に行くので参考書

つげ義春: 夢と旅の世界 (とんぼの本) - はてなキーワード

貧困旅行記 (新潮文庫) - はてなキーワード

必殺するめ固め―つげ義春漫画集 (1981年) - はてなキーワード

つげ義春を読む - はてなキーワード

つげ義春 幻想紀行 - はてなキーワード

 「つげ義春: 夢と旅の世界」は非常に解りやすく有用だった。ネジ式、紅い花、ゲンセンカン主人も採録、インタビューや年譜も興味深かった。湯宿温泉は街道筋の温泉街でこじんまりしていたが、宿屋はごく普通だった。

ぼくはこんな音楽を聴いて育った 大友良英 筑摩書房 2017/09/11

ぼくはこんな音楽を聴いて育った (単行本) - はてなキーワード

 

 1959年生、福島育ちの著者が自分史と重ねて自分の聞いてきた音楽を語る良著。2歳年下で隣県で育った私にはよく解る部分が多かった。ちょっと面白かったのは著者がパンク・ロックの洗礼をうけていない点だ。アナーキー・イン・ザ・UKが1976年だけど日本での受容は随分遅れたように思う。この辺の2歳の違いは大きいのかな?個人的な記憶では1976年は音楽的な停滞期で、ツェッペリンもパープルもパッとしなかった。パンクが過去のロックを否定するのは理解できた。この後著者はパンキッシュな活動を展開していくのでいわずもがなけど。その辺が楽しみな「東京編」はWEBちくま(http://www.webchikuma.jp/articles/-/1270)連載中。

誤解だらけの人工知能 ディープラーニングの限界と可能性 (光文社新書) 田中潤, 松本健太郎 光文社 2018/02/15

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FROM 人工知能はどのようにして 「名人」を超えたのか?―――最強の将棋AIポナンザの開発者が教える機械学習・深層学習・強化学習の本質 山本一成 ダイヤモンド社 2017/05/11 - いもづる読書日記

TO AI vs. 教科書が読めない子どもたち - はてなキーワード

 

 本書を読む前に製作裏話(https://www.mm-lab.jp/interview/misunderstanding_artificial_intelligence/)を読んで、勝手にシンギュラリティ否定派の方の本だと思っていたので、そこまでアンチじゃないんだなという感想。人工知能開発の現状と短期的な未来予想が有用な本。「人工知能はどのように『名人』を超えたのか」と併せてだんだんとわかってきた。本書の前半はAIを働かせるには目的の設定が重要で、学習のために十分な量のデータが必要だということが述べられる。現在急速に進むAIの進歩に日本は完全に乗り遅れている。後半は「人工知能はこの先の社会をどう変えていくか?」、「社会に浸透する人工知能に私たちはどのように対応すべきか?」が述べられる。AIに仕事を奪われた私たちは一方で貴重な消費者である。「そうなると、労働の対価としてお金をもらうという仕組み自体を壊すしかないと僕は思います。」(215ページ)ベーシックインカムの導入が望ましいと。
 現状ではAIが人間より優れているか否かの判断は人間が行っている。AIに「大局観」があるような気がしているのは人間である。しかし、近い将来AIが人間の知性をはるかに凌駕すれば、AIの決定(その過程はブラックボックス化されている)を人間が判断することは叶わなくなる。どうもこんなディストピア小説のような未来像しか見えてこないのだが。

 

 

昭和天皇とワシントンを結んだ男―「パケナム日記」が語る日本占領 青木冨貴子 新潮社 2011/05

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占領史追跡: ニューズウィーク東京支局長パケナム記者の諜報日記 (新潮文庫) - はてなキーワード

 

TO GHQと戦った女 沢田美喜 (新潮文庫) - はてなキーワード

敗北を抱きしめて〈上〉―第二次大戦後の日本人 - はてなキーワード

敗北を抱きしめて〈下〉― 第二次大戦後の日本人 - はてなキーワード

 

 コンプトン・パケナムは1893年日本生のイギリス人で、アメリカ占領期の日本でニューズウィーク誌の記者として活躍した。パケナムはマッカーサー公職追放財閥解体政策を「日本で最も活動的で能率がよく、経験豊かで教養もあり、国際感覚をあわせもつ層、まさに最もアメリカに協力的な層が切りすてられることになった」(37ページ)と批判し、怒りを買った。アメリカに一時帰国した際、日本への再入国をゆるされないほどであった。パケナムはトルーマン大統領の助力もありふたたび日本で記者生活を続けることになったが、このことよりアメリカ政府のエージェントでもあったのではないかと想像されている。
 パケナムは日本の再軍備に消極的だった吉田茂首相を批判し、鳩山一郎岸信介といった当時のニューリーダーとの人脈を築いていった。1951年、後に米国務長官となるフォスター・ダレスが来日した際、鳩山一郎との極秘会談をセッティングしたりした。こうした活動の中で友人であった宮内府式部官長松平康昌を通じて、昭和天皇からダレスへのメッセージがもたらされた。それは「有能で先見の明がある善意の人々の多くが自由の身になれば、世のために貢献することができるでしょう」(143ページ)というものであった。「吉田もマッカーサーも通り越して、昭和天皇は独自外交の一歩を踏み出したのである」(140ページ)。
 著者は「岸という人間が(中略)旧軍の軍国主義的な体質を色濃く引きづった人物」、「沖縄に負担を残したまま、”密約”を結んで、国民には秘密主義で明かさず、反共の防波堤として米国と密接な関係をもつことを何より第一にしたのが岸であった」(236ページ)と述べる。この時期に制度設計された日本の防衛政策は当時の矛盾を内包したまま現在まで続いている。一方で日本の再軍備を批判する側の「アジアのスイスたれ」(138ページ)という主張にパケナムは「一億玉砕などを叫んだ戦前のスローガン同様のたわごと」と断じている。日本人が主知的であるがゆえに現実を見誤った判断をしがちであるという指摘かもしれない。現実的で、国民の最大幸福を目指した、より開かれた議論が必要だと考えるが。

  

神になりたかった男 徳田虎雄:医療革命の軌跡を追う 山岡淳一郎 平凡社 2017/11/25

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 ちょっとどう要約して良いかわからない。医局制度や研修医制度は大きく変わったが徳洲会の存在意義は失われていない。徳洲会という存在は徳田虎雄の個性がなければありえなかったが、徳田虎雄の影響力がおおむね無くなった現在でも、徳洲会系の病院は依然として独特の存在感を示している。アメリカ帰りとか学生運動上がりという指摘もあたっているだろう。だが、本書は徳洲会という現象の全体像を捉えているとは言えなさそうだ。残念ながら唐牛健太郎は出てきません。
 たぶん、医療業界のありかたを語らなければ徳洲会を語ることはできない。徳洲会は理想郷ではないが一つのアンチテーゼであったしこれからもそうだろう。そういう意味では本書は物足りない。

 

 

 

唐牛伝 敗者の戦後漂流 佐野眞一 小学館 2016/07/27

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FROM 永田鉄山 昭和陸軍「運命の男」 (文春新書) 早坂隆 文藝春秋 2015/06/19 - いもづる読書日記

吉本隆明1968 鹿島茂 平凡社 2009/05/16 - いもづる読書日記

1968〈上〉若者たちの叛乱とその背景 - はてなキーワード

1968〈下〉叛乱の終焉とその遺産 - はてなキーワード

中核VS革マル(上) (講談社文庫) - はてなキーワード

中核VS革マル(下) (講談社文庫) - はてなキーワード


 まず、佐野眞一の復活を寿ぎたい。推理小説的に読ませる佐野節も健在である。唐牛健太郎は名前を知っているという程度だった。60年安保と70年安保の違いはよく聞く話だが、唐牛、島成郎、青木昌彦西部邁という登場人物達が個性的。その牧歌的な自由さが印象的だった。登場人物の多くが鬼籍に入っておられることと学生運動が関係あるのかないのか。
 吉行和子桐島洋子のくだりが面白かったが、女性は元気とかいうのは違う気がする。著者の嗜好もあるんだろう。「安保闘争の時代が終わると、大きな本のページをめくるように新しい女の時代が始まっていた。だが、それに気がつく者はほとんどいなかった」(274ページ)。
 たまたま「永田鉄山」と相次いで読んだ。我々は国防を他人任せにすることで経済成長を謳歌できた。一方で自己判断力を奪われたことで、表出する矛盾を見ないで済ます不健全さが習い性となった。現状を無視して暴走するのが正しいはずがない。戦略的に考え粘り強く行動しなければ現状を変えることはできない。

永田鉄山 昭和陸軍「運命の男」 (文春新書) 早坂隆 文藝春秋 2015/06/19

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 なんでこの本を読もうと思ったんだっけ?インパール作戦のテレビを見て、なぜこんなに旧軍は愚かだったのかと思ったのがきっかけか?永田鉄山は日本の陸軍軍人で統制派の中心人物と目されていた。非常に優秀な人だったが、1935年皇道派の相沢三郎陸軍中佐に斬殺された(相沢事件)。この事件が翌年の2・26事件につながっていくとされる。
 「永田を失った統制派において、俄かに頭角を現したのが東條英機であった。東條は生前の永田に心酔し切っていた。永田が存命であったならば、東條を巧みに使いこなすことができたと思われる」(265ページ)。「永田は(中略)『軍紀による結束』を信条とし、『隊長への個人崇拝』を廃するように指導した」(104ページ)。永田はスイス的な国民皆兵、総動員体制の必要性を主張していた。その総動員体制とは「例えば、永田は『国民動員』として、『人員を有効に配置すること』を主張する。女性の労働力を活用するために『託児所の設立』の必要性を指摘した」(65ページ)。合理的な思考ができる人だったらしい。合理的な人らしく他の人々も合理的に考えるだろうと考える失敗をしたのだろう。
 著者は「永田とて戦争を好んでいたわけではない。寧ろ、その悲惨さは欧州滞在の経験を通じて、誰よりも深く理解していた。永田は戦争を厭うからこそ、軍事に関する研究や分析を重ね、準備の肝要なることを繰り返し説いたのである。」(68ページ)とし、「誤解を恐れずに言えば(中略)『国防を他人任せ』のように考える日本国民の声は、今も珍しくない。」(81ページ)と現状を批判する。しかし、永田の軍紀=理性による軍隊のコントロールという理想が成立しないことは永田自身の死が証明している。永田がいれば戦争が上手く運んだという想像は楽観的すぎるだろう。満州事変の収拾を図るにあたり、永田は「一度事変が勃発した以上日本としては挙国一致国家将来のために有利な方向にこの難局を打開して行く以外に道はない」(130ページ) と考え、現状追認の道を選んだ。単に優秀な人だったのか、指導者の器だったのかはわからない。