文学と非文学の倫理 吉本隆明;江藤淳 中央公論新社 2011/10/22

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吉本隆明 江藤淳 全対話 (中公文庫) - はてなキーワード

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江藤淳という人 福田和也 新潮社 2000/06 - いもづる読書日記

永遠の吉本隆明[増補版] 橋爪大三郎著 洋泉社新書Y 2012年 - いもづる読書日記

吉本隆明という「共同幻想」 呉智英著 筑摩書房 2012年 - いもづる読書日記

「知の巨人」と「最後の文士」の対談、出版されたのは江藤の没後で吉本存命中、本年2月に中公文庫で再刊されているらしい(解説は高橋源一郎)。5回の対談が収録され、それぞれ1966年、70年、70年、82年、88年に行われている。
江藤は吉本より8歳年小だが、亡くなりかたもあってか随分早く古びたと感じる。本書を読んで私的には大いに評価が上がった。さながら剣豪の果し合いのようだが、切っ先は江藤が勝っている場面が多かった。たとえば、吉本はマルクスの思想の共同性は他者を必要としないということから、孤立的に存在した知識人の生み出した文化、文学が時代を本当に転換する、共同性になりうると述べる(59ページ)。これに対し江藤は「マルクスのことはよく知りませんけれど(中略)なぜそれだけ正確な世界認識が行えたのか(中略)それがキリスト教を逆転したかたちで西欧文化の根底、民俗学の底にあるようなものにまで触れていた。だからこそ後世あれだけの階級的憎悪を組織できた」(61ページ)と返す。ゾクゾクするほど鋭い。

「保守」とはたぶん現状変更の必要が無いという考えかたで、変えない方がましという諦念を背景にしていると考える。この点、保守「思想」とか保守「主義」というのは形容矛盾ではないだろうか。本書では「幸福」ということばが使われている。江藤「漱石という人は非常に孤独な人だったと思うけど、漱石の作品は不思議に読者を孤独にしない。(中略)それは彼が個体を越えるなにかの感覚をもっていたからではないか。」(68ページ)この感覚を幸福とか伝統とよんでいる。これを「江藤淳という人」とあわせてみると、書割めいた大衆社会への憎悪、失われた幸福への憧憬と単純化してみたくなるが、たぶん違うんだろうな。