愛国と信仰の構造 全体主義はよみがえるのか (集英社新書) 中島岳志, 島薗進 集英社 2016/02/1

愛国と信仰の構造 全体主義はよみがえるのか (集英社新書) - はてなキーワード

 

 政治学者と宗教学者による戦前全体主義への諸宗教の寄与に関する対話。非常に示唆が多く納得できる内容だった。下記に目次を示す。
1戦前ナショナリズムはなぜ全体主義に向かったのか
親鸞主義者の愛国と言論弾圧
3なぜ日蓮主義者が世界統一をめざしたのか
国家神道に呑み込まれた戦前の諸宗教
ユートピア主義がもたらす近代科学と社会の暴走
現代社会の政治空間と宗教ナショナリズム
7愛国と信仰の暴走を回避するために
全体主義はよみがえるのか
 ここでユートピア主義とは天皇親政による正しい社会のことであり、これが「君側の奸」によって障害されているという現状認識である。「君側の奸」の賢しらさが親鸞による「自力」の否定に結びつく。日蓮主義は積極的な社会改革を希求し動乱の原動力になって行く。教育勅語を代表とする国体教育は想像以上の効果を持ち、「1920年代あたりから『顕教』すなわち国家神道を掲げる『下からのナショナリズム』や、その影響を受けた軍部や衆議院の発言力が強くなり、『密教』(西欧並みの立憲君主制のこと、引用者註)の作動を困難にしてしまった。」(131ページ)。なるほどと思うが、川俣事件(足尾鉱毒事件、1900年)から大逆事件(1910年)に至る締め付けの歴史はどうなるんだ?と思う。
 中島の保守思想は次の発現で良く表現される。「本来、保守の思想というのは、単なる現状肯定も、理性を過信した設計主義も退けます。人間は不完全な存在ですから、誤ることもある。だからこそ、長年かけて作り上げられてきた良識や慣習を大切にしながら、変えられる部分から漸進的に変えていきましょうと考えるわけです。」(257ページ)でも、ネトウヨの跋扈は保守思想が生んだものじゃないの?それとも硬直化した左翼による言論封殺がいけなかったの?こうした、手近な「君側の奸」を探すアチチュードがいけないの?