殉教 日本人は何を信仰したか? (光文社新書) 山本博文 光文社 2014/07/04

殉教?日本人は何を信仰したか? (光文社新書) - はてなキーワード

 

 長崎市日本二十六聖人記念館という施設がある。船越保武の彫刻で有名なこの施設は1597年に殉教したキリシタンを記念するものである。この殉教者は1862年バチカンによって聖人と認定され、キリスト教徒にとっては悲劇的な事件として認識されているのだろう。この施設の訪問者も外国人が多いように思った。本書は次のような言葉で始まる。「現在の日本人の殉教のイメージを決定づけたのは、遠藤周作氏(1923-96)の名著『沈黙』であると言っても過言ではないだろう。キリスト教徒だった遠藤氏の殉教感は、日本に来て棄教した宣教師を主人公に据え、殉教者を救うことができない『神の無力』ということを強調しているため、カトリック教会からは異端の目で見られたが、現代の日本人には理解しやすいものだった。」(20ページ)そして、最終的には「最後に、遠藤氏の描くロドリゴがはたして実在する人物たりえているのかという点についても付け加えておこう。宣教師にとって殉教は望ましいものであり、それは信者が殉教するのを見ても同様だった。(中略)信者や子供が殉教によって死ぬことを嘆くという発想は、宣教師であるロドリゴにあるはずはなかった。現代人である遠藤氏の描くロドリゴの発想は現代的であり、17世紀に生きた宣教師ではありえなかったと思う。」(251ページ)と結論づけられる。では、実際の日本殉教がどのようなものだったかというと「本書を構想したとき、筆者は、殉教に日本人の意志の強さや武士的エートスがが読み取れると思った。この考えは今でも間違っていないと思うが、史料を読み込むにつれて、日本人民衆の聖遺物信仰や殉教者に対する態度の変化が重要な論点として浮かび上がってきた。また、殉教者時代のヨーロッパの宣教師には、高潔さ、信仰の強さ、そして日本人の武士的エートス以上に強い意志力があったことも強調しておきたい。」(250ページ)
 連想したのはおかげ参りのような大衆的熱狂である。また、その一因として阿部謹也が「ハーメルンの笛吹き」で述べたような(少年十字軍)中世社会の持っていた強いストレスが考えられるかもしれない。日本殉教はヨーロッパ人にとっては遠い異国の話であったし、日本人にとってはコミュニティー外の特殊な人々のお話だった。これに現代的な意味づけを行い、生き生きとした人間像を与えているのは現代のキリスト教徒でありヒューマニズムだ、ということになるだろうか?随分、手前勝手な偶像化だが、それが宗教というものだろうか?