一神教と国家 イスラーム、キリスト教、ユダヤ教 (集英社新書) 内田樹, 中田考 集英社 2014/02/14

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 ユダヤ教に造詣の深い内田樹イスラーム学者にしてムスリム中田考氏の対談。2014年刊ということでシリア情勢など時事的な部分はやや古くなっている。ムスリムの行動様式やその背景を理解するには有用だが、カリフ制の復活といわれると困ってしまう。
 「ユダヤ教が自分たちはモーセの律法と考えているモーセ五書を重んじ、律法こそが、神が人類に下したメッセージであり従うべき生きる指針である、と考えていること自体は、イスラーム教徒の『クルアーン』に対する態度と似ています。(中略)キリスト教は、イエスその人が神の人類に対するメッセージ、神の言葉だと考えます。聖書は神の言葉というよりも神の言葉であるイエスに対する教会の証言でしかありません。だからキリスト教はイエスの伝記である福音書ギリシャ語で書き、オリジナルのアラム語のイエスの言葉を保存することにまったく興味を示さなかった」(74ページ)「またキリスト教ユダヤ戦争後。ギリシャ語を話すヘレニストが支配的になり、西方教会ラテン語公用語とすることにより、ヨーロッパ化していくことになると、この『ヨーロッパ化したユダヤ教』は、同じセム語族ヘブライ語アラビア語聖典を有するイスラームユダヤ教とは一線を画すようになります。」(75ページ)ふむ。うろ覚えだが、「書物としての新約聖書」には新約聖書成立時の地中海世界の公益民ではギリシア語が事実上の共通語で、キリスト教はまず彼らから浸透していったと書かれていたような気がする。言語が思想を規定する好例といえるだろうか?