イノベーションはなぜ途絶えたか: 科学立国日本の危機 (ちくま新書1222) 山口栄一 筑摩書房 2016/12/06

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 日本企業の技術開発力の低下と、日本のアカデミズムの研究力低下について述べた本。著者はその大きな要因を「中央研究所時代」の終焉にもとめる。「90年代後半に入って、日本企業は米国のベル研究所IBMといった民間研究機関に追随する形で、研究から手を引くことをほぼ一斉に決めた。」(13ページ)米国ではこのイノベーションの空洞をベンチャー企業が埋めた。米政府はSmall Business Innovation Research (SBIR) プログラムによってベンチャー起業を積極的にプロモーションした。「『スモール・ビジネスこそがイノベーションを起こす』という考え方の裏には、『大企業にはもはやイノベーションを起こせない』という洞察がある。『SBRI』という言葉そのものに、そうした思想がこめられている。」(88ページ)一方日本は「中小企業技術革新制度」を施行したが、ここには見るべきイノベーションはなく単なる中小企業支援制度と堕した。これはSBRIの思想をくみ取れなかった行政の危機感の無さとともに、技術の目利きを行う科学行政官の不在が挙げられている。日本では中央研究所の閉鎖とともに研究を目指す大学院生の数が低下した。米国では研究者、大学院生がベンチャー設立を将来設計の視野に入れているが、日本ではこうした社会的風土が存在しない。「私が2002年に米国国立衛生研究所(NIH)を訪れ、そこに集う若きポスドクたちに『将来何になりたいか』と問うたところ、ほとんど全員が『研究者ではなく、プログラム・ディレクターになりたい』と答えた。」(126ページ)。
 本書の後半部は企業の運営における科学の不在と、科学者の社会的責任について割かれている。2005年の福知山線脱線事故や2011年の福島第一原発事故に際して、企業経営者が基本的な科学的知識を書いていたことを挙げ、「科学を企業に埋め込む」(209ページ)必要性を説く。「科学の専門家が組織の意思決定システムにいないことに加え、分野を横断して縦横無尽に行き来する水平関係のネットワークの欠如が、東電の原発事故やJR福知山線事故のような不幸を招いた構造的要因となったと言えるだろう。」(183ページ)そのために、理系的知と文系的地が互いに「越境」し刺激しあう「共鳴場」としての大学院を提唱する。
 「科学とトランス・サイエンスの境界」(157ページ)という問題提起も重要である。上記過酷事故のような科学だけでは処理できない問題(トランス・サイエンス問題)に対し、どのように科学がかかわっていくか提言している。私は「科学者の身分保障と問題への公平無私な関与で解決される」と読んだ。本書は多くの興味深い視点を提供し、熟考したうえで多くの提言がなされている。しかし、指し示す未来像に十分な説得力がない。これは「絶望」が足りないのではないかと思う。例えば、シャープを買収した鴻海が成功した理由を経営者のカリスマ性や台湾人のマインドにのみもとめるのは、日本の閉塞感への解決策にはならい。我々をしばっているものの本質に迫らなければ大胆なマインドセットの変更はありえない。