高橋悠治という怪物 青柳いづみこ著 河出書房新社 2018.09.25

高橋悠治という怪物 :青柳 いづみこ|河出書房新社

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ジャズの証言 新潮新書 山下洋輔 、相倉久人 2017/05/17 - いもづる読書日記

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『武満徹・音楽創造への旅』立花 隆 | 単行本 - 文藝春秋BOOKS

高橋悠治という名前を最初に聞いたのは坂本龍一サウンドストリートだと思う。そのおかげで私のレコード棚には「6つの要素」が並んでいる。本書でも触れられている矢野顕子の「BROOCH」は高橋の伴奏で歌曲を唄うという異色のアルバム(矢野がピアノを弾かないという意味で)だったが、この際のコンサートを含めて悠治さんのライブを見たのは2回か。「どうせ当日券があるでしょ」と思って会場に行ったら、ソールドアウトだったこともあったな。
青柳いづみこは興味はあったが読むのは初めてで、演奏は聞いたことが無い。徹底した調査で事実を裏付けていく様子が圧倒的、ちょっと台所を見せすぎかとは思うが。そして、卓越した演奏家ならではの演奏分析が、素人には真偽は判断できないものの、鋭い。本は、著者と高橋の関わり(連弾)から、現代音楽の「ナポレオン・ピアニスト」だった時代、それを否定して水牛楽団で活動していた時代、クラシックを再編成するような(脱メロディ)ピアノ回帰時代と丁寧にたどっていく。この高橋の変節というか移り気というか、変化に対する一つの説明として下記が示される。「日本コロンビアのプロデューサーで、武満と高橋のレコードを多く出している川口義春は、互いに敬愛しあう師弟の確執をつぶさにみていた。『高橋悠治という人は、武満さんとは違った意味で人からの影響を受けやすい人なんですよ』と川口は『日経ビジネスオンライン』のインタビューで語る。『その最初はギリシャ系フランス人の作曲家クセナキスでした。ヨーロッパでクセナキスに付いて回り、作品を各地で演奏したりしてね。それが日本に帰ってきてからは武満になったんです。そのことを本人は認めてないけどね』本人も認めている。筆者に問わず語りに語ったところによれば、クセナキスにも武満にも抗しがたい魅力があり、そばにいると思わず知らず影響されてしまう。クセナキスからは離れるようにすすめられ、武満には自分から理不尽なケンカを売って離れたと。」(183ページ)
「『水牛楽団でやっていたようなことってのは誰にもできるはずのことなわけ。だけど実際には誰もができないのね。特に音楽家であればあるほどできない。音の出し方を知らないんだ、と思うな。何もない状態があってね、そこから音が立ち上がってくると、そしてその音がどこかに消えていく、そこまでを一つの音というでしょ。そういうことを知らないよね。音がでてきちゃってからのことしか知らないんだな』(『音楽現代』1986年9月号)」(164ページ)この、音が出て消えていくというモチーフは著者に通じ、本書にも何度か出てくる。訓練された耳と筆力を持った著者によって、怪物の片鱗は描かれたか。