日本を襲ったスペイン・インフルエンザ――人類とウイルスの第一次世界戦争 速水融 2006/2 藤原書店

日本を襲ったスペイン・インフルエンザ――人類とウイルスの第一次世界戦争

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感染症の世界史 石弘之著 洋泉社 2014年12月31日 - いもづる読書日記


新型コロナウィルスを考えるうえで最も参考になるであろう、大正時代のスペイン・インフルエンザの研究書。類書はこれだけだそうで、貴重である。スペイン・インフルエンザは、1918年春~夏の『春の先触れ』、18年秋~19年春の『前流行』、19年暮~20年春の『後流行』の計三回にわたって流行し、全世界で2000万~4500万人、日本では約50万人が亡くなったそうである。「この『前流行』と『後流行』には、症状に若干違いがある。後に統計でみるように、『前流行』では罹患率が高いが、死亡率は比較的低かった。『後流行』では罹患率は低いが、死亡率は高かった。このことからも『前流行』インフルエンザと、『後流行』インフルエンザは、異なるウィルスによるのではないか、という意見もある。」(98ページ)
本書は当該年の死亡数と平時の死亡数を比較することでインフルエンザによる「超過死亡」を算出し、信頼のおけるデータを得た。この(対人口)死亡率の月別変化グラフは国内の地方によって異なる経過をたどり、興味深い。九州、中国、四国地方では1918年11月に『前流行』死亡率ピークを迎え、その後急速に低下する。『後流行』のピークはこれよりかなり小さく、ゆるやかに推移した。これに対し、東北、北海道地方では、『前流行』期が長く続いたがピーク高は九州等より低かった。著者は『前流行』の蔓延が比較的軽度に終わった地域で、『後流行』が猖獗を極めたという仮説に基づき、各地方の両死亡率の関係を解析したが、有意な相関は認められなかった(260ページ)。しかし、同様の解析を神奈川県の地域データで行い、(人口の入出の少ない)郡部に限定した場合有意な逆相関を得ている。(344ページ)。この仮説は、軍隊において新入営兵への感染が多く認められたこと、詳しく紹介されている軍艦「矢矧」において、あらかじめ罹患していた「明石」乗組員には感染しなかったこと、によって補強されると考える。つまり、両流行における罹患率重篤化の相違は、むしろマス・ポピュレーションの免疫状態を反映したものと捉えられる。人の移動、接触の促進がいかにウイルスの流行抑制に良くないかがわかる。
本書の「総括」において著者はこう述べる。「未曽有の大量の死者をもたらしたスペイン・インフルエンザに対し、政府や医学界は何も対策を講じなかったのか。答えはイエスでもあり、ノーでもある。(中略)マスクの使用、うがいや手洗いの励行、人ごみをさけることなどを、繰り返して促していた。(中略)死亡者数が、人口の0.8%でとどまったのも、いく分かはこういった対策が効いたのかもしれない。しかし、こうした対策は、決して徹底されていたわけではなく、全てに効果があったわけでもなかった。」(432ページ)「結論的にいえば、日本はスペイン・インフルエンザの災禍からほとんど何も学ばず、あたら45万人の生命を無駄にした。(中略)スペイン・インフルエンザから何も学んでこなかったこと自体を教訓とし、過去の被害の実際を知り、人々がその時の『新型インフルエンザ・ウイルス』にどう対抗したを知ることから始めなければならない。なぜなら、人類とインフルエンザ・ウイルスの戦いは両者が存在する限り繰り返されるからである。」(436ページ)