文春文庫『中国化する日本 増補版 日中「文明の衝突」一千年史』與那覇 潤 | 文庫 - 文藝春秋BOOKS
FROM
著者の云う「中国化」は内藤湖南の「宋代以降近世説」に依拠する。これは、皇帝への権力集中、身分制の否定=貴族の没落、年貢の物納を貨幣納に代えたことによる貨幣経済の振興、科挙によるプレーンな人材登用、移動の自由等で特徴づけられる。日本も、平安末期の院政=平家の時代、南北朝の建武親政、明治維新で中国化に傾くが、その都度真逆の性質を持つ「日本化」に引き戻されることになる。最も典型的なのが江戸時代で、人々は固定化された身分制で、それぞれの在所に縛り付けられ、夢や望みが無い代わりに安定している日常を過ごすことになる。明治維新は中国化のトレンドを持っていたが、それを貫徹した元老たちではなく、坂本龍馬や西郷隆盛など維新に鬱屈を持った人物がヒーロー視されるなか、昭和維新という引き戻しを被ることになる。戦後は身分制はなくなったが、在所に代わり企業に縛り付けられ(終身雇用制)安定化していたが、新自由主義によって放任経済という戦場に置き去りにされているのか、そうでもないのかというのが現状認識のようである。
このコンセプトに立つと確かに色々なことが良く見えてくる感じがする。そういう意味で、初期の呉智英(「封建主義、その論理と情熱」など)とよく似ている。呉智英は背景に反・新左翼というはっきりした方向性があったが、著者の場合もう少し大きく、現在の言論界の閉そく状態への苛立ちがあるのだろうか?右にも左にもジャブというあり方はよく似ているが、もっと絶望は深いようである。
戦前の大陸体験が語られるときに、一種の解放感が背景にあることが多いように思う。本書を読んで思い起こした情景は、王兵監督の映画「苦い銭」である。日本の箱庭的な風景を背景に、紐帯から解き放たれた大陸浪人の孤独と自由を描くことができるのだろうか。