風土記の世界 岩波新書新赤版 1604 三浦佑之 2016/04/20

風土記の世界 - 岩波書店

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持統天皇-壬申の乱の「真の勝者」 (中公新書) 2019/10/16 瀧浪 貞子 - いもづる読書日記

風土記大宝律令が成立した時期に大和政府より発せられた、古老相伝旧文遺事を記録せよとの命に従って各地でまとめられた記録で、常陸、出雲、播磨、豊後、肥前風土記が残っている。また、近江、丹後などの風土記が、後世の文書に引用される形で(逸文)残っている。中国に倣い、法律と国史の整備は国家の両輪と考えていたようで、風土記日本書紀を編纂する原資料として用いられたと考えられるが、因果関係は不明ということのようだ。
著者はさらに古事記についてこのように述べている。「風土記という作品を考えるためには、日本書紀とともに古事記の神話や伝承を取りあげる機会がしばしば生じる。そこではじめに確認しておきたいことは、古事記日本書紀をともに律令国家の内部で編まれた史書として並列的にとらえるという、近代国家が企図した作為から古事記を解放したいということである。(中略)その上で、風土記に載せられたさまざまな神話や伝承と重ねながら論じてみる。すると今まではわからなかったことが見えてくるに違いないのである。(30ページ)」
「国家あるいは王権の内部において、制度として存在し、それを支える歴史(神話)を口承によって管理し伝承する『語り部』という存在は、たとえば八世紀においては、すでに記憶としてしか存在しなかったのかもしれない。(中略)そのなかで、古事記『序』に名前の登場する稗田阿礼は、語り部の末裔ともいえる存在だったとみなすことができる。(中略)平安時代のことになるが、天皇の即位儀礼である大嘗祭に、諸国から語り部が出てきて『古詞を奏す』という儀礼が行われている。(中略)おそらく、律令国家の成立以前にそれぞれの土地に存立していたであろう在地王権の、ヤマトへの服属にともない、服属の誓いを確認する儀礼として古詞奏上が行われ、それを語る存在として『語り部』がいたということになるだろう(59ページ)