ロシア・サッカー物語 (ユーラシア・ブックレット) 大平陽一 2002.6 東洋書店

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同志少女よ、敵を撃て 逢坂冬馬 2021/11/17 早川書房 - いもづる読書日記

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暗き天才 メイエルホリト | みすず書房

ソ連におけるサッカーと政治の関係を語った小冊子。作曲家のショスタコヴィッチが熱心なディナモレニングラードのサポータだったらしい。「サッカーはスターリン専制が作りだした偽善とシニシズムの砂漠にぽつんと残ったオアシスになりつつあった。」(18ページ)
旧ソ連のサッカーといえば、(ウクライナの)ディナモ・キエフだ。1998-99シーズンにはUEFAチャンピオンズリーグでベスト4。だが、「国内ではロバノフスキイの組織サッカーはジャーナリズムの批判の的にもなっていた。評論家たちは異口同音にサッカーの美学と自由の蹂躙者として彼を非難し続けた。」(53ページ)ウィキペディアによると、ロバノフスキイは2002年5月7日のウクライナリーグ、メタルググ・ザボロージャ戦後に倒れ、同13日に永眠した。本書が刊行される直前であった。

学問をしばるもの 井上章一編 思文閣出版 2017年10月

学問をしばるもの|出版|思文閣 美術品・古書古典籍の販売・買取、学術出版

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ことばと国家 (岩波新書) 田中克彦 岩波書店 1981/11/20 - いもづる読書日記

網野善彦対談集 2 多様な日本列島社会 山本幸司編 岩波書店 2015/02/20 - いもづる読書日記

本書の趣旨は、所収の「歴史はどこまで学統・学閥に左右されるか」という論文のタイトルが示している。なんだか難儀な世界である。本書では触れられない学説が、日本史業界ではどのように扱われているのか気になってくる。江上波夫騎馬民族征服王朝説というのがあって、ほとんど時代の彼方に葬り去れているが、正当なのだろうか?網野善彦の不在も気になるところである。戦前の皇国史観歴史学を歪めたことは確かだろうが、以降の国史学イデオロギーから自由であったとは思われない。それってなんなん?と自然科学者は思わざるを得ない。

電通とFIFA サッカーに群がる男たち 田崎健太 光文社新書 2016/2/18

電通とFIFA 田崎健太 | 光文社新書 | 光文社

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サッカーと人種差別 文春新書 陣野俊史 文藝春秋 2014/7/18 - いもづる読書日記

原発プロパガンダ - 岩波書店

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朝日新聞出版 最新刊行物:文庫:電通

電通が黎明期のスポーツビジネスに関わるに至った経緯を描いた本。電通の専務取締役にまで至った高橋治之という人物が主人公。J-リーグの発足や、日韓W杯、FIFAの贈収賄など裏面史が描かれる。「プラッターは高橋のことを、ワールドユースをプロデュースした男であると皆に紹介した。(中略)『電通ならば放送局の手配、スポンサーが喜ぶ露出ができる。我々に任せてくれればもっとちゃんとしたマーケティングをやりますよ。』」(83ページ)
高橋のような人物が活躍した背景に電通という会社の特徴がある。「田原総一郎は、八四年の著書『電通』(朝日文庫)の中で(電通とは個人商会の巨大集合体。電通マンの一人一人が仕掛け人で、仕掛け人たちが伸縮自在、まるでアミーバのようにくっついていてふくれあがったり、分裂したりする形で成り立っている企業)と定義した上で」(58ページ)
原発事故以降、その是非について十分な議論が行われたとは言えない現状に、電通を代表とする広告代理店が議論を封殺してきたことをその一因とする考えがある。東京電力が「スポンサー」である限り、その手足となるのが広告代理店の正義だろう。広告代理店はメディアを牛耳っており、メディアに載ってこない議論は実質的に存在しないも同じという状況に強い違和感を感じる。電通は一種の媒体で、社会がその存在を望んでいるという理解もあろうが、その肥大化した影響力が社会に悪影響をもたらしているという自覚はあるのだろうか?

私労働小説 ザ・シット・ジョブ ブレイディ みかこ KADOKAWA 2023年10月26日

「私労働小説 ザ・シット・ジョブ」ブレイディみかこ [文芸書] - KADOKAWA

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リスペクト ブレイディみかこ著 筑摩書房 2023/08 - いもづる読書日記

日本社会のしくみ 雇用・教育・福祉の歴史社会学 小熊英二 講談社現代新書 2019年07月17日 - いもづる読書日記

読後感は珍しく苦い。「自伝ではない」そうだが、著者の直接的な感覚があまり調理されずに提出されているようだ。人種差別、階級差別、搾取といったワードが並ぶ。だが、労働者階級がシットジョブの担い手だという単純な話に帰結したいわけではないようだ。
「『あなたのお母さんは、天使のような人だ。』病院での母の働きぶりは素晴らしかったらしい。(中略)家で彼女が自分の職場についてどう語っているかを知っていた私は、そうした言葉を信じられない気持ちで聞いていた(中略)水色の介護士の制服を着た母親は、車椅子の脇に腰をかがめて、風に乱れた患者の前髪を顔から払っていた。あんな柔らかな笑みを浮かべた母親を長いこと見ていなかった、なんとなく胸がドキドキして、私は少し離れた場所からそれを眺めていた。」(248ページ)

階級社会ではないと言われながら、真綿で首を絞めるように分断が進む日本社会。小熊英二は「新しい合意」の形成が必要といったが、まず社会の実像を描き出し、直視するのが第一歩だと思う。

隆明だもの ハルノ宵子 晶文社 2023年12月

隆明だもの | 晶文社

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文学と非文学の倫理 吉本隆明;江藤淳 中央公論新社 2011/10/22 - いもづる読書日記

吉本隆明全集の月報に長女のハルノが寄稿したエッセイをまとめたもの。ハルノと吉本ばななの姉妹対談、ハルノのインタビューも収録されている。吉本隆明の特異なキャラクターを知ることができる。「父の場合は、ちょっと特殊だった。簡単に言ってしまえば”中間”をすっ飛ばして『結論』が視える人だったのだ。無意識下で明確に見えている『結論』に向けて論理を構築していくのだから、”吉本理論”は強いに決まっている。けっこうズルい。」(56ページ)クールな分析である。"サイキック"であることが自明の一家でいらした。
吉本は1996年に海で溺れる事件を起こしている。「しかし父をあなどっていた。明日新聞のすみっこに、一介の物書きジジイが、西伊豆で溺れたと、小さく載る程度だと思っていた。ヘリは報道部長クラスが『よし、飛ばせ!』と言えば、すぐに飛んじゃうんだ。と、後に共同通信のI氏が言っていた。つまりは、そのクラスが皆”吉本世代”だったと言う訳だ。」(68ページ)「しかしこの夏の出来事は、大変大きな教訓になった。父が溺れた程度(?)で、こんな騒動になるとは、さすがに私も、想像だにしなかった。もしこれで、父が死んだりしたら、どの程度のことに、いつどんな順番で見舞われるのか、予備知識ができた。」(71ページ)その、典型的な吉本世代だった渋谷陽一が、昨年11月に突然病気療養に入ったことが報道され、3月末に本人不在のまま担当ラジオ番組が終了することが発表されたことを言い添えておく。時代は動いている。

能から紐解く日本史 扶桑社 大倉源次郎 2021/03

https://www.fusosha.co.jp/books/detail/9784594084172

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大化改新を考える 岩波新書新赤版1743 吉村武彦 2018/10/19 - いもづる読書日記

「白村江」以後 ― 国家危機と東アジア外交 (講談社選書メチエ) 1998/6/1 森 公章 - いもづる読書日記

双調平家物語ノート(2)院政の日本人 橋本治 2009年6月30日 - いもづる読書日記

応仁の乱 - 戦国時代を生んだ大乱 (中公新書) 呉座勇一 中央公論新社 2016/10/19 - いもづる読書日記

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中上健次短篇集 - 岩波書店能の小鼓方大倉流宗家の大倉源次郎が、演目と背景について紹介した本。室町時代に成立した能という芸能に盛り込まれた様々な思想が、あたかも考古遺物を発掘するようで興味深い。「『国栖』は、追いつめられた大海人皇子が、吉野山中で権現信仰の民族=賀茂族や国栖族出会い、助けられて復活し、ついに政権を取った、という物語です。別の言い方をすると、天武天皇は吉野で、山岳信仰の人びとの大きなネットワークに助けられた、ということです。」(58ページ)
中上健次に「蝸牛」という作品がある。「十九歳の地図」という短編集に収められていて、中上の最初の転換点と呼ばれる作品である。この漢字2文字の短編は「蛇淫」や「化粧」へ至る中上の代表的なスタイルになる。背筋の伸びたスタイルに能との共通点を感じた。吉野の権現信仰を考えると、いうまでもなく熊野を根拠とした中上文学が、能と共通したにおいを持っていても不思議ではない。中上は能には言及しなかった(たぶん)。教養主義は潔しとしない姿勢も好ましかったが。

一億三千万人のための『歎異抄』 朝日新書 高橋源一郎 2023年11月13日

朝日新聞出版 最新刊行物:新書:一億三千万人のための『歎異抄』

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親鸞への接近 四方田犬彦 工作舎 2018/8/24 - いもづる読書日記

萩尾望都がいる 長山靖生 光文社新書 2022年7月13日 - いもづる読書日記

書き換えられた聖書 バート・D・アーマン 著 ちくま学芸文庫 2019/06/10 - いもづる読書日記

証し 日本のキリスト者 最相葉月 KADOKAWA 2023年01月13日 - いもづる読書日記

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伊藤比呂美の歎異抄 :伊藤 比呂美|河出書房新社

歎異抄がここまでコンパクトな本だとは思っていなかった。誤読するなというのが無理じゃないだろうか。著者の訳文は平易だが原文を正確にうつしているのがわかる。だが、これをもとに何でも語れそうな気がする。冗長度が足りないとでもいおうか。
巻末の「宗教ってなんだ」で著者が本書を書いた理由が明らかにされる。若い頃に活動家の近親憎悪に触れて、人間の奥底に届く言葉をもとめて親鸞に興味を持ったと綴ったあと、カール・バルトの幼児洗礼批判に対するオスカー・クルマンの言葉を引用している。「バルトの『信仰とは神との一対一の契約であるという考え方』は素晴らしい。けれども『実のところ、それは信仰ではない』と言ったのである。(中略)キリスト教の信仰とはなにか。まず最初に神からの愛の一方的贈与があるのだ。」(172ページ)そうして、「正しそうなものには気をつけた方がいいのだ」まで至っている。
以前、外国人に鎌倉仏教を説明しようとして、こりゃルターじゃないかと思ったことがあった。上記のクルマンは親鸞のようだ。宗教は弱いものを強くする。では、初源の宗教家は弱くあらねばならないのか。業が深くない凡夫の私には、それが救いなのか呪いなのかわからない。