倭の五王 王位継承と五世紀の東アジア 河内春人 2018/1/22

倭の五王 王位継承と五世紀の東アジア -河内春人 著|中公新書|中央公論新社

『倭の五王』/河内春人インタビュー|web中公新書

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雄略天皇の古代史 平林章仁 志学社選書 2021年6月30日 - いもづる読書日記

宋に朝貢した倭の五王(讃、珍、済、興、武)について述べた本。古事記、日本書紀を「脇に置いて」論じるというコンセプトで書かれたとのこと。
「ここまで名前あるいは系譜から倭の五王の実体について迫ることはきわめて難しいことを説明してきた。そもそも『宋書』倭国伝と記・紀をすり合わせること自体、あまり生産的な作業とは思えない。(中略)序章で見たように、考古学の知見では、五世紀の段階で複数の有力な王族集団が存在していたことが判明している。百舌鳥古墳群と古市古墳群を比較すると、大王墓とそれ以外の王族集団の古墳の間に隔絶した差はないように見える。すなわち、この時期の倭王権は複数の王族集団によって構成されていた。また、両方の集団が並存しながら大王が現れているということは、相互の関係は大王を出した集団が圧倒的優位に立つようなものではなかったことを示唆している。一方で、『宋書』倭国伝の記述では、倭の五王について讃・珍と済・興・武は系譜的に別の集団と考えられる。(中略)六世紀初頭に継体天皇は近江・越前から河内・大和に乗り込んで王位を継承しており、そのグループは五世紀にも一定程度の勢力を保持していたと見なして良いだろう。」(193ページ)
武をワカタケル=雄略天皇と看做すことにも明確に疑義があらわされており、興味深い。「『武』をタケル(タケ)と読むのは訓読みである。武=タケルとすれば、五世紀後半の列島社会で漢字の訓読みが定着していたことになる。(中略)もし『武』をタケルと読むならば、現在知られている訓読みの成立を100年さかのぼらせなければならない」(184ページ)

ぼくたちはどう老いるか 高橋源一郎 朝日新聞出版 2025年12月12日

朝日新聞出版 最新刊行物:新書:ぼくたちはどう老いるか

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ぼくらの戦争なんだぜ 高橋源一郎 朝日新書 2022年8月5日 - いもづる読書日記

隆明だもの ハルノ宵子 晶文社 2023年12月 - いもづる読書日記

詩人なんて呼ばれて 谷川俊太郎 尾崎真理子 新潮社 2017/10/30 - いもづる読書日記

老化とは何か 今堀和友著 岩波新書新赤版297 1993/09/20 - いもづる読書日記

本書は鶴見俊輔の「もうろく帖」を取り上げる第一部、「隆明だもの」、有吉佐和子「恍惚の人」、耕治人の三作を読む第二部、そして谷川俊太郎と著者の弟君の死を扱う特別編からなる。本来、老化と死は別に扱う事柄だと思うが、死が老化問題に「彩り」を添えている事実は否定できない。
「新しく生まれたばかりの社会は、まだ若く、『老い』たる人びとの数は少なかった。誰もが『未来』のことを考えた。(中略)だから、長い間、『老人問題』は存在しなかった。あったとしても、それは一つ一つの家庭の問題で、社会の表面にはなかなか浮かび上がってこなかった。(中略)だが、ついにその日がやって来た。長い間、見ないですませてきた問題に社会は直面したのだ。」(193ページ)ちょっと今更感がある記述だが、純文学作家の直感によってのみ掬われ得る現実も存在するだろう。社会が活性を失っていく時代に、世代間格差が謳われるデリケートな問題に、もう少し神経の行き届いた考察が読みたかったというのが正直なところ。

言霊の舟 白川静・石牟礼道子往復書簡 藤原書店 2025/11

言霊の舟――白川静・石牟礼道子往復書簡

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されく魂 わが石牟礼道子抄 池澤夏樹 2021.02.22 河出書房新社 - いもづる読書日記

風土記の世界 岩波新書新赤版 1604 三浦佑之 2016/04/20 - いもづる読書日記

石牟礼道子と白川静の対談、往復書簡をコンパイルした作品だが、石牟礼の新作能「不知火」も掲載されている。白川は漢字の呪術性を述べるが、語り言葉と書き言葉(漢字)の相剋についても指摘する。「そうすると雄略期ぐらいの時には、たぶん語部がおって、そういう歌なんかをやはり語り伝えておったんだろうと思う。そしてその前後に物語をつけて語っておったんだろうと思う。だから『古事記』に出てくる歌は、だいたいそういう伝承形式で伝えられていたんだと思うんです。いまの『古事記』の歌は、さっぱりわからんものが多いのです。話の中に入っとっても、話と歌とが合わない。ということは、語部が伝えとった歌だけが、後から作られた物語の中へ、割り振って、振り込まれたというような歌であるから、話と合わんのです。(中略)それですから、日本で筆記が行われたのは、正確にいえば、日本人の手で筆記が行われるようになったのは、近江朝以降であるとぼくは思う。それまでは全部伝承の形態であり、書かれておるものは全部渡来人が書いたであろう。百済が滅びた時に天智朝にたくさんやって来ますが、それ以前にもやって来ている。二度三度も来ていますからね。」(62ページ)

詩人なんて呼ばれて 谷川俊太郎 尾崎真理子 新潮社 2017/10/30

『詩人なんて呼ばれて』 谷川俊太郎/語り手・詩、尾崎真理子/聞き手・文 | 新潮社

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1945年に生まれて 池澤夏樹語る自伝 池澤夏樹 尾崎真理子 岩波書店 2025/07/03 - いもづる読書日記

一昨年に亡くなった谷川俊太郎の、尾崎真理子による評伝。評伝とインタビューが立体感をもたらしている。2024年に新潮文庫に入り、大幅増補されているらしい。
谷川が、ことばの名手でありながら「小説は絶対、向いていなかったし」(258ページ)と自己規定するのが面白い。「僕は音楽がないと生きていけない耳の人間だけど、大岡(信:引用者注)は美術、それも前衛的な現代美術の批評に才気を奮った『眼の人』でしょう?日本語の音色、調べにはとても敏感だったけどね。それから、大岡は自分が日本文学の長い伝統の最先端にあるという歴史意識が非常に強くて、『理解魔』なんて呼ばれてた。僕には『いま・ここ』だけしかない。」(211ページ)「河合(隼雄:引用者注)さんは人の一生を考える上でも『物語』をとても大事に考えているけど、僕は物語とか歴史的な意識があんまりなくて、記憶も弱くて、(中略)物語は歴史的でストーリーのあるものだけど、詩というのは俯瞰して、上からいっぺんに『今』を見ようとする。そうすると曼荼羅という意識が出てくるんですよ。(中略)曼荼羅というのは全世界を一枚の図にしたものだけど、結局、曼荼羅のすみっこみたいな、それが詩じゃないかな、と。」(223ページ)記憶や情報の文節化という脳の機能を基本に考えてみると面白い。その上で、急激な自己組織化、相転移をもたらす結晶性の高いことばを生み出す詩人だったと考える。

されく魂 わが石牟礼道子抄 池澤夏樹 2021.02.22 河出書房新社

されく魂 :池澤 夏樹|河出書房新社

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ぼくたちが聖書について知りたかったこと 秋吉輝雄 池澤夏樹 2009年11月2日 小学館 - いもづる読書日記

〈おんな〉の思想 私たちは、あなたを忘れない 上野千鶴子著 2013年06月26日 集英社インターナショナル - いもづる読書日記

「『椿の海の記』は作者四歳の時の回想という形を取る。わずか四歳の時のことをどれだけ記憶しているか、と訝しみながらこの童女に手を引かれて昭和初期の水俣に行けば、そこには息苦しいほど濃密な世界が広がっている。」(46ページ)「さまざまなものがぞろぞろと湧いて出てひしめき合う世界にあっては、四歳の少女の心からも無数の思いが限りなく溢れ出す。(中略)この溢れる豊穣感は古代のアニミズムの世界に通じる回路であり、水俣の水辺や山裾に住む人々が共有していたものだ。」(52ページ)
「そもそもこの人自身が半分まで異界に属していた。それゆえの現世での生きづらさが前半生での文学の軸になった。その先水俣病の患者たちとの連帯が生まれた。彼らが『近代』によって異域に押し出された者たちだったから。」(160ページ)「しかし、水俣は彼女にうつつを見させた。これが現実のありよう、この地獄を作ったのが人間。それをせめて煉獄に変え、救いの道を付けなければならない。そういう声に応じて、四十年に亘ってその声の命じるままに力を込めて書き続け、『苦界浄土』ができた。あの大作の中では、うつつに踏みとどまらなければという意思と夢の方に行ってしまいたいという誘惑の力が拮抗している。」(172ページ)
「しかしこの非対称を倫理の面で見ると、今度は患者の側がそれこそ圧倒的に強い。彼らはチッソを赦すという究極の権限がある。(中略)その力を恃むことができる。だからこそ彼らは『チッソのえらか衆にも、永生きしてもらわんば、世の中は、にぎやわん』と晴れやかに笑って言うことができるのだ。この笑いを得てはじめて、この物語を仮にも閉じることが可能となる。」(34ページ)

人はなぜ記憶するのか ―脳と自己の科学― チャラン・ランガナス 早川書房 2025/12/03

人はなぜ記憶するのか ―脳と自己の科学―: 書籍- 早川書房オフィシャルサイト|ミステリ・SF・海外文学・ノンフィクションの世界へ

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夢を叶えるために脳はある 「私という現象」、高校生と脳を語り尽くす 池谷裕二 2024年03月28日 講談社 - いもづる読書日記

アルツハイマー病研究、失敗の構造 カール・ヘラップ みすず書房 2023年8月10日 - いもづる読書日記

記憶に関する近年の研究を概括した本。全体にカジュアルでポップ。ロックや映画からの引用が多く、それもツボを抑えている。「元セックス・ピストルズのメンバーで、現在はパブリック・イメージ・リミテッドのボーカルを務めるジョン・ライドンはこう語っている。『虚偽の記憶が存在するとは思わない。虚偽の歌が存在するとは思わないように。』」(97ページ)
「エピソード記憶は非常に強い力をもっており、それはただ単に過去にアクセスできるからというだけではない。私たちが現実を知覚するときの基本となるのは、いま自分の存在する時間と空間を正しく認識できることであり、そのためには直近の過去を思い出さねばならないことが多い。(中略)直近の過去に関する記憶を引き出すと、自分自身をいま現在の時間と空間にしっかり位置づけやすくなる。」(54ページ)
「エピソード記憶を形成するのはレゴブロックを組み立てるのに少し似ていると私は思うようになった。(中略)同じようにDMN(引用者注: Default Mode Network)も出来事を分解し、『誰』や『何』がそこにいた(あった)のかという要素と、その出来事が『どこで』『どのように』繰り広げられたのかという要素を別々に処理できる。(中略)一方の海馬は特定の出来事を覚えておくためにそれらの要素をどうつなげればいいかを指示する役割を持っているようだ。」(83ページ)
「私たちが記憶をさまざまなやり方で使うことができるは、進化的に古い脳構造(海馬、扁桃体、側坐核など)と、比較的新しい構造(嗅周野、前頭前野、DMNなど)とが相互作用し、さらに神経修飾物質(ドーパアミンやノルアドレナリンなど)が可塑性を生み出すおかげである。なじみのある情報を迅速に処理するためのニューロン間の接続の微調整。普段と違う物事や新しい物事、あるいは予期せぬ物事に意識を向けるうえでの記憶の役割。未来に何が起こり得るかを予測するためのエピソード記憶の利用。新しい情報をベースにした記憶の更新と、間違いからの学習。他者と記憶を共有することを通して、自分の人生の物語と自分の属する文化の物語をつねにつくり直せること。こうしたプロセスはすべて、複雑に絡み合ったシステムの働きが表れたものだ。」(243ページ)

謎のアジア納豆―そして帰ってきた〈日本納豆〉 高野秀行 新潮社 2016/04/27

『謎のアジア納豆―そして帰ってきた〈日本納豆〉―』 高野秀行 | 新潮社

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反穀物の人類史 国家誕生のディープヒストリー みすず書房 2019年12月19日 - いもづる読書日記

アンソロジー 餃子 菊谷匡祐, 黒鉄ヒロシ, 小泉武夫, 小菅桂子, 小林カツ代, 今柊二, 鷺沢萠, 椎名誠, 東海林さだお, 南條竹則, 難波淳, 野中柊, 浜井幸子, 林家正蔵, パラダイス山元, 平松洋子, 藤原正彦, 古川緑波, 南伸坊, 村瀬秀信, 室井佑月, 山口文憲, 山本一力, 四方田犬彦, 渡辺祥子, 渡辺満里奈 パルコ 2016/04/28 - いもづる読書日記

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『幻のアフリカ納豆を追え!―そして現れた〈サピエンス納豆〉―』 高野秀行 | 新潮社

タイ、ミャンマー、ネパールなどアジアのの山間部に納豆に似た食品が存在することを探求した本。著者はこのように総括する。「アジア納豆とは一言でいえば『辺境食』である。(中略)納豆民族は例外なく所属する国においてマイノリティだ。それは偶然ではない。どの国でも文明が発達し、豊富な人口を擁するのは平野部だ。魚や家畜の肉、あるいは塩や油が入手しやすく、他の有力な調味料を発達させている。納豆を必要としないのだ。」(304ページ)
後半部で岩手県西和賀町で作られる「雪納豆」が紹介されている。私は盛岡に住んだことがあるので懐かしく思った。旧沢内村は二重稜線になった東北山脈にはさまれるように存在している。南部藩の隠し田だったという話も聞いた。碧祥寺博物館はマタギの文化を伝えている。この神話的な山里が蝦夷の末裔であっても不思議ではない。
著者は本書につづき「幻のアフリカ納豆を追え!」も著している。明日はどっちだ(笑)