「継体天皇と朝鮮半島の謎」水谷 千秋著 文春新書 2013

継体天皇と朝鮮半島の謎 (文春新書 925) - はてなキーワード

 

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 朝鮮半島前方後円墳マイブームの一環で読んでみた。古墳の副葬品から被葬者の生前活動をたどる考古学的研究の成果をふまえて、継体天皇の実像を描こうとした書である。
 継体天皇は「子どものなかった武烈天皇崩御し、王位を継ぐべき王(大王を父に持つ男王の意)がいなくなったのを受けて、応神五世孫の継体を近江から上京させ、仁賢天皇の皇女手白髪命と結婚させ、王位を授けた」(20ページ)という謎の人物である。著者は継体を「当時の政治の中心の大和・河内から離れた近江湖北の出身で、若狭、越前、美濃、尾張などを基盤として、物部氏や大伴氏、和爾氏、阿部氏ら中央の非葛城系豪族の支持を受けて即位」(236ページ)した人物と結論している。そして、百済(武寧王)と強い結びつきを持ち、任那百済割譲と引き換えに五経博士の派遣を促し、中国に学んだより整然とした政治制度を導入した人物像を描き出している。著者はこの政治史思想を「巨視的にみれば、それは「礼」の導入であり、文字による統治、文字化された精神文化への道を志向したもの」(235ページ)ととらえている。画期的である。
 また、継体期に起きた筑紫君磐井の乱を「かねてより中央から独立する動きを始めていた磐井を盟主とする北部・中部九州勢力に対し、内部対立をやっと収束させ、継体の下で一本化した大和政権が、ついにその時機をとらえて攻撃をしかけたのがこの戦いであった」(170ページ)ととらえ、阿蘇ピンク石による石棺の分布から九州勢力との交渉を担った氏族とそのダイナミックな経緯を類推している。私はその当否について述べることはできないが、推理小説を読むようなカタルシスを覚えたことは確かだった。
 武寧王の棺が日本にしか生息しない高野槇で作られていたことは当時の日本と朝鮮半島の関係を考える上で興味深い。