永田鉄山 昭和陸軍「運命の男」 (文春新書) 早坂隆 文藝春秋 2015/06/19

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 なんでこの本を読もうと思ったんだっけ?インパール作戦のテレビを見て、なぜこんなに旧軍は愚かだったのかと思ったのがきっかけか?永田鉄山は日本の陸軍軍人で統制派の中心人物と目されていた。非常に優秀な人だったが、1935年皇道派の相沢三郎陸軍中佐に斬殺された(相沢事件)。この事件が翌年の2・26事件につながっていくとされる。
 「永田を失った統制派において、俄かに頭角を現したのが東條英機であった。東條は生前の永田に心酔し切っていた。永田が存命であったならば、東條を巧みに使いこなすことができたと思われる」(265ページ)。「永田は(中略)『軍紀による結束』を信条とし、『隊長への個人崇拝』を配するように指導した」(104ページ)。永田はスイス的な国民皆兵、総動員体制の必要性を主張していた。その総動員体制とは「例えば、永田は『国民動員』として、『人員を有効に配置すること』を主張する。女性の労働力を活用するために『託児所の設立』の必要性を指摘した」(65ページ)。合理的な思考ができる人だったらしい。合理的な人らしく他の人々も合理的に考えるだろうと考える失敗をしたのだろう。
 著者は「永田とて戦争を好んでいたわけではない。寧ろ、その悲惨さは欧州滞在の経験を通じて、誰よりも深く理解していた。永田は戦争を厭うからこそ、軍事に関する研究や分析を重ね、準備の肝要なることを繰り返し説いたのである。」(68ページ)とし、「誤解を恐れずに言えば(中略)『国防を他人任せ』のように考える日本国民の声は、今も珍しくない。」(81ページ)と現状を批判する。しかし、永田の軍紀=理性による軍隊のコントロールという理想が成立しないことは永田自身の死が証明している。永田がいれば戦争が上手く運んだという想像は楽観的すぎるだろう。満州事変の収拾を図るにあたり、永田は「一度事変が勃発した以上日本としては挙国一致国家将来のために有利な方向にこの難局を打開して行く以外に道はない」(130ページ) と考え、現状追認の道を選んだ。単に優秀な人だったのか、指導者の器だったのかはわからない。