親鸞への接近 四方田犬彦 工作舎 2018/8/24

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「エレクトラ―中上健次の生涯」 高山 文彦著 文藝春秋社 2007.11 - いもづる読書日記

本書のなりたちは2番目におかれた「親鸞とわたし」で述べられている。筆者は東大で宗教史・宗教学を専攻したのだ。しかし、そのころの著者の関心は親鸞よりはむしろ道元にあった。大学院では比較文学に専攻を変えた。その後の人生が著者の指向性を変えた。パレスチナコソボの悲惨が、親鸞の思想を著者にとってアクチュアルなものにした。本書の第一部は親鸞の主著である「教行信証」と言行録である「歎異抄」に関するエッセイ、第三部は戦前から戦後にかけて親鸞に深く親しんだ三木清三國連太郎吉本隆明に関する論考がおさめられた。
本書の第二部は親鸞に触発された自由な論考がいくつか配された。とはいえ、これらが占める重要性は大きい。「礼如さんの思い出」という文章は中上健次の「千年の愉楽」などに登場する毛坊主、礼如さんについて述べている。礼如さんと妻のオリュウノオバというキャラクターを得て、「この虚構の人物を、矮小な人間の善悪の次元を超えた大地母神のごとき存在として提示することで、中上は魔術的リアリズムの手法を掌中に収め、小説家として新しい審級へと移ることになった。」(322ページ)「中上は浄土真宗の正統性とは一度も交渉をもたないまま、路地の住人たちの一人ひとりに引導を授けることに生涯を費やした礼如さんの造形に、かぎりない愛着をいただいていた。」(325ページ)被差別者と浄土真宗というテーマは三國連太郎の章にひきつがれる。
俳優の三國連太郎は小説「白い道ー法然親鸞とその時代 しかも無間の業に生きる」を著し、これをもとに映画「親鸞 白い道」を監督した。彼にとって親鸞とは、悪について鋭い洞察力を向けた思想家だった。「浄土真宗被差別部落は、切っても切れない深い関係にある。歴史的に見て、真宗ほどに部落と深く捩れた関係にある宗派は、日本には存在していない。」(411ページ)映画「親鸞」は中世社会の非農耕民を描くことで親鸞の思想的な視程の広さを見せているようである
吉本隆明は<非知>へと傾いていく晩年の親鸞にアプローチする。「こうして吉本のなかで、親鸞はゆっくりと<知>から<非知>へと移行し、そこに静かに着地する。(中略)<非僧>の身となった者が、いくら衆生へと回帰しようと試みても、本来は<はからい>のない衆生は蜃気楼のように移ろっていくばかりで、回帰が永遠に不可能な課題としてのこされてしまうという事情に対応している。だが、それゆえに、還相とは終わりなき運動となるのだ。これが吉本が描き得た、最晩年の親鸞の肖像である。」(494ページ)