ガメ・オベールの日本語練習帳 ジェームズ・フィッツロイ著 青土社 2021年2月4日

青土社 ||文学/小説/詩:ガメ・オベールの日本語練習帳

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萩尾望都がいる 長山靖生 光文社新書 2022年7月13日 - いもづる読書日記

夏目漱石の背骨が漢詩であったように(田村隆一とその事で議論して殴り合いになるほどの岩田宏の大ファンだった)大江健三郎の背骨は、実は岩田宏を含めた現代詩だった。」(223ページ)なるほどなあ。荒地の現代詩は読んだこともないから、ちょっと勉強してみよう。
もう随分昔のことのようです。戦後文学という言葉がありました。もうそんな言葉は意味がなくなった。村上春樹という存在とその作品が、戦後文学という構築物が成り立たないことを証明してしまった。これは不可避な現象だった思われます。歴史に残っていく普遍的な言葉を手にすることができるか、これが問われていると思います。我々の文化はまだ射程が短い。
より至近の話をすれば、反知性主義が渦巻くSNSの世界で、良質の知性が成り立ちうるかという実験がガメ・オベール氏ということになるのかもしれません。