吉本隆明という「共同幻想」 呉智英著 筑摩書房 2012年

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from 吉本隆明が最後に遺した三十万字〈上巻〉「吉本隆明、自著を語る」 - はてなキーワード

to 永遠の吉本隆明【増補版】 (新書y) - はてなキーワード

 若いころに「インテリ大戦争」を愛読した。吉本の名前も呉智英に教えて貰ったと思う。名古屋出身でない名古屋市民としては、呉や三遊亭円丈の不機嫌そうな顔を見ると名古屋人だなあと思う。この毒気が非名古屋人にも魅力なのであるがそればかりだと辟易としてくる。本書は吉本の言葉を平易に翻訳するなど著者一流の皮肉に満ちているが、批判本というほど腰の据わったものではない。そもそも市井の思想家、原理主義者といった点で呉と吉本は共通点が多いと私は思う。吉本に対する尊敬の欠如が本書に満載された皮肉を単なる皮肉にしていて残念である。照れているのだろうか?

 吉本隆明は敗戦という経験ともっとも真摯に向かいあった現代人だったのではないだろうか。「吉本隆明、自著を語る」を読むと苛烈な転向者、非転向者に向けた批判に込められたまっすぐな気持ちが伝わってくる。主知主義原理主義は戦争を生む。しかし、保守思想に流れず主知主義的思考を貫徹したのが吉本だったと考えている。

「エレクトラ―中上健次の生涯」 高山 文彦著 文藝春秋社 2007.11

エレクトラ―中上健次の生涯 (文春文庫) - はてなキーワード

TO 評伝中上健次 - はてなキーワード

 中上健次は自分にとって特別な作家だった。こんな伝記が出ていたことは知らなかった。非常に楽しめたが、「岬」で芥川賞を受賞するまでがほとんどをしめ、10章が「枯木灘」と「紀州」、最終11章が病没の周辺で、作家の全体像を描くには至らなかったか。
 もう殆ど純文学は読まなくなった。最後に村上龍を読んだのは「ヒュウガ・ウイルス」だろうか。村上春樹は昭和型(あえていうと)の純文学とはジャンルが異なるのではないだろうか?フォークナーに影響を受け雄大な叙事詩的文学を志向した点で、中上健次ガルシア・マルケス、バルガス・リョサ、あるいはギュンター・グラスとの通底、同時代性が示唆されている(343ページ)が、ロベルト・ボラーニョについてどう思っただろう? 

「掘った、考えた」 大塚初重、鶴原徹也著 中央公論新社 2016年

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from 継体天皇と朝鮮半島の謎」水谷 千秋著 文春新書 2013 - いもづる読書日記

   石の虚塔: 発見と捏造、考古学に憑かれた男たち - はてなキーワード

   考古学崩壊 前期旧石器捏造事件の深層 - はてなキーワード

to  邪馬台国をとらえなおす (講談社現代新書) - はてなキーワード

 

 大塚初重氏は明治大学名誉教授で考古学者、聞き書きなので読みやすい。1926年生まれで戦争にも行かれたそうで、前半は自伝的な内容になっている。ご専門の古墳自体については「弥生時代の方形周溝墓が派生し、その後、墳丘が高くなって前方後方墳が出現したと言える。前方後方墳は日本の古墳出現期の墳墓だ、と私は考えます。」(119ページ)と明快に述べられてます。
 3年ほど前、いわゆる旧石器捏造事件にかかわる「石の虚塔」、「考古学崩壊」を読んでいたのだが、著者は事件とのかかわりが深い芹沢長介東北大学名誉教授と同門だったこともあり、含蓄の深い言葉を寄せている。「1960年以降の国土開発で新幹線・鉄道・高速道路が敷かれ、工業団地・ニュータウンが次々に造成されます。工事で遺跡が出てくる。遺跡の資料を保存・記録するために緊急発掘し、その後、遺跡を壊して開発を再開する。」(175ページ)「考古学の新事実が続々出てきます。マスコミがやってくる。『最古』『最大』『最初』という言葉が躍ります。(中略)考古学者がチヤホヤされ、拍手喝さいを浴びる。次第に考古学者が溺れる。おごるんですね。それがあの藤村氏を生んだ。」(175ページ)

 

「独立の思考」カレル・ヴァン・ウォルフレン、孫崎享著 角川学芸出版 2013年

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to  戦後史の正体 (「戦後再発見」双書1) - はてなキーワード

 

ウォルフレンはオランダのジャーナリスト。日本はアメリカの属国であると主張している。戦後70年に下記の文章を寄稿している。

www.japantimes.co.jp

孫崎という方はよく存じ上げなかったが良い対談相手であったようだ。「フランスの対米感情は愛憎が半ば」(169ページ)、「(オランダは)NATOの一員となれば、ドイツやフランスがヨーロッパで覇権を握れなくなると考えた(中略)オランダは奇妙な形の"親米"であり続けてきた」(172ページ)など興味深い指摘も多かった。

「出版現実論」藤脇 邦夫 著 太田出版 1997

from 「吉本隆明が最後に遺した三十万字 吉本隆明、自著を語る上巻」吉本 隆明 著 ロッキング・オン 2012
   「ロッキング・オン天国」増井 修 著 イースト・プレス
to  「ロッキング・オンの時代」橘川 幸夫 著 晶文社 2016
 すみません。出版現実論に興味があったわけではありません。渋谷陽一の珍しいインタビューが載っていたので読んでみました。吉本隆明本におけるインタビュワーの枠を超えた渋谷氏の活躍が楽しく、懐かしさもあってマイブームとなりました。ご存知ない方に簡単に背景説明しますと、渋谷陽一は株式会社ロッキング・オンの社長でロック評論家、NHKFM「ワールド・ロック・ナウ」のパーソナリティ。同社はロッキング・オンロッキング・オン・ジャパンの他、CUT、SIGHTなど音楽誌以外の雑誌も出版していて景気がよかった。近年はロックインジャパンカウントダウンジャパン等のフェス運営にも実績をあげている。
 本は図書館に返してしまったので直接引用は出来ないのだけど、とりあえずいつもの渋谷節で、売れるものは正しい、芸術性と商業性は矛盾しない、ビートルズを見よとたたみかけている。ロックという音楽が、あるいは1950年代以降のメディア社会が人間の思考法にもたらした変化を考えるためにも、渋谷のロック的思考は手がかりになりそうに思う。

「朝鮮 民族・歴史・文化」金 達寿著 岩波新書 1958

from 「海の向こうから見た倭国」高田 貫太著 講談社現代新書 2017
   「加耶と倭 韓半島と日本列島の考古学」朴 天秀著 講談社選書 2007
 「継体天皇と朝鮮半島の謎」水谷 千秋著 文春新書 2013 - いもづる読書日記

 

 前々からリストアップしていたのだが未読であった本書を朝鮮半島の通史を知るために読んでみた。本書が出版された1958年は朝鮮戦争の休戦からわずか4年、李承晩失脚の2年前である。済州島四・三事件についても十分な記述ができない事情がまだあったのか?最近の私の古代史マイブームの視点から歴史もだが、半島の地理に関する情報も有益だった。裏をかえせばそれだけ無知であるということ。「もともと百済は、当時の朝鮮諸国のうちではもっとも恵まれた土地のうえでさかえたものであり-中略-文化の程度も高かった」(48ページ)が、「斯く高句麗百済の文献が湮滅に帰したのは新羅が二国を併合したことが大原因」(174ページ、高橋亨『朝鮮文化の研究』からの引用)であり、残念である。
 著者は「実は私はここで白状するが、私がもしこの自民族の歴史について少しでも誇りをもっているとすれば-中略-それは、実にこの奴婢・農民といった最下層民によって絶えることなくくりかえされた反抗・叛乱である。-中略-だが、それは、のちの李朝末期の東学等の乱といわれた東学農民戦争もそうであったが、そのつど鎮圧された。鎮圧はされても、それが、常に、この国の歴史を変化させおしすすめてきたことは否むことのできない事実である。」(70ページ)と述べている。なるほどかの国の歴史は我が国に比べダイナミックでエモーショナルに感じる。

「継体天皇と朝鮮半島の謎」水谷 千秋著 文春新書 2013

継体天皇と朝鮮半島の謎 (文春新書 925) - はてなキーワード

 

from 「海の向こうから見た倭国」高田 貫太著 講談社現代新書 2017
   「加耶と倭 韓半島と日本列島の考古学」朴 天秀著 講談社選書 2007
to  「朝鮮 民族・歴史・文化」金 達寿著 岩波新書 1958 - いもづる読書日記

 朝鮮半島前方後円墳マイブームの一環で読んでみた。古墳の副葬品から被葬者の生前活動をたどる考古学的研究の成果をふまえて、継体天皇の実像を描こうとした書である。
 継体天皇は「子どものなかった武烈天皇崩御し、王位を継ぐべき王(大王を父に持つ男王の意)がいなくなったのを受けて、応神五世孫の継体を近江から上京させ、仁賢天皇の皇女手白髪命と結婚させ、王位を授けた」(20ページ)という謎の人物である。著者は継体を「当時の政治の中心の大和・河内から離れた近江湖北の出身で、若狭、越前、美濃、尾張などを基盤として、物部氏や大伴氏、和爾氏、阿部氏ら中央の非葛城系豪族の支持を受けて即位」(236ページ)した人物と結論している。そして、百済(武寧王)と強い結びつきを持ち、任那百済割譲と引き換えに五経博士の派遣を促し、中国に学んだより整然とした政治制度を導入した人物像を描き出している。著者はこの政治史思想を「巨視的にみれば、それは「礼」の導入であり、文字による統治、文字化された精神文化への道を志向したもの」(235ページ)ととらえている。画期的である。
 また、継体期に起きた筑紫君磐井の乱を「かねてより中央から独立する動きを始めていた磐井を盟主とする北部・中部九州勢力に対し、内部対立をやっと収束させ、継体の下で一本化した大和政権が、ついにその時機をとらえて攻撃をしかけたのがこの戦いであった」(170ページ)ととらえ、阿蘇ピンク石による石棺の分布から九州勢力との交渉を担った氏族とそのダイナミックな経緯を類推している。私はその当否について述べることはできないが、推理小説を読むようなカタルシスを覚えたことは確かだった。
 武寧王の棺が日本にしか生息しない高野槇で作られていたことは当時の日本と朝鮮半島の関係を考える上で興味深い。