ヒトはこうして増えてきた: 20万年の人口変遷史 (新潮選書) 大塚柳太郎 新潮社 2015/07/24

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まえがきから。「出生、死亡、移動に着目してヒトの歴史を見直すと、四つのフェーズに大別できます。第一フェーズは、ヒトが誕生の地アフリカの中で人口を穏やかに増した時期です。第二フェーズは、ヒトの祖先たちがアフリカ大陸から西アジアへ、そして地球の広域へ移住した時期です。第三フェーズは、ヒトが定住生活をはじめ、その後に農耕と家畜飼育を発明し、自然界の食物連鎖の制約から逸脱を開始した時期です。現在までつづく第四フェーズの引き金になったのは、ヨーロッパではじまった産業革命と人口転換です。人口転換とは出生率も死亡率も高い『多産多死』から死亡率だけが低下する『多産少子』を経て、最終的に出生率も低下する『少産少死』に移行することを指しています。」本書の1~4章に相当する第三フェーズまではよく描けていて、興味深い。本書の眼目である第四フェーズと将来像を題材とする第五章、最終章はデータを重視したせいか散漫で読みづらい。特に人口転換のメカニズムについて統一的な見解が述べられず、報文の紹介に終わっている感もある。中国の施策史も知りたいところだ。

 生物史的な意味、人類史的な意味を語って欲しいと思った。

日本史を精神分析する―自分を知るための史的唯幻論 岸田秀, 柳澤健 亜紀書房 2016/12/24

日本史を精神分析する―自分を知るための史的唯幻論 - はてなキーワード

 

 本書はプロレス本を立て続けに出している柳澤健が日本史の話題を提供し、これを岸田秀がいつもの調子で斬っていくというメインパートの後、岸田の筆になる「日本はなぜ戦ったか」と題する補論が述べられる。ほぼ全編を埋め尽くしているのはコンプレックスがドライビングフォースになった歴史の展開であり、その昔「ものぐさ精神分析」を読んで感じた感銘は得られなかった。
 補論では、「日米戦争で日本人はあれほど大きな犠牲を払って必死に戦ったのになぜ負けたのか」が考察される。岸田によれば問題はよくいわれる物量の差などではなく、作戦の拙劣さ、日本軍の組織の問題、犠牲を払って得られる栄光というヒロイズム、強気論が支配しがちな空気に迎合する性質、当事者の責任の不明確等々であり、「日本軍を必然的に敗北へと導いた構造的欠陥は現代日本の省庁、政党、企業、大学など、あらゆる組織にそのまま温存されていて、日々、想像を絶する多大の被害をもたらしている」(275ページ)。ある意味、こういう言葉が聞きたかった。独立国家として立ち上がりたいという望みがあるなら、過去と真正面から立ち向かう覚悟が必要なのは明らかである。そうでなければ、戦後というぬるま湯の中にいつまでもとどまり続けるしかない。

鳥類学者 無謀にも恐竜を語る 川上和人著 技術評論社 2013/03/16

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from 恐竜はなぜ鳥に進化したのか―絶滅も進化も酸素濃度が決めた (文春文庫) - はてなキーワード

  6度目の大絶滅 - はてなキーワード

to 楽しい終末 (中公文庫) - はてなキーワード

 タイトルを見ればわかるように著者は健筆、テーマもホット、でも「恐竜は~」や「6度目の~」のようなカタルシスを得られない。私がスレッカラシなのか?
 本書は巨大隕石の衝突による恐竜絶滅で締めくくられる。そして、「我々人類は叡智と楽観を駆使して、いずれ来る新生代末の巨大隕石衝突による大量絶滅イベントを乗り越えよう。そしてぜひとも次なる生物進化の様子を高みの見物と決め込もうではないか!」(265ページ) 科学は観察者を被観察系の外に置くことで成立する。しかし、たぶん高みの見物は実現しない。科学的必然に基づく未来予測は悲観でも楽観でもない。絶滅が人類史にあらかじめビルトインされているというのが我々にゆるされた傲慢で甘美な悲観である。というわけで、以前読んだ「楽しい終末」を読みたくなった。

永遠の吉本隆明[増補版] 橋爪大三郎著 洋泉社新書Y 2012年

永遠の吉本隆明【増補版】 (新書y) - はてなキーワード

from 吉本隆明という「共同幻想」 呉智英著 筑摩書房 2012年 - いもづる読書日記

 吉本隆明のDNA - はてなキーワード

to 吉本隆明1968 (平凡社新書 459) - はてなキーワード

 こちらは橋爪大三郎のまっとうな吉本追悼本だが、成り立ちは呉智英本と共通するところもある。「吉本隆明のDNA」でも感じたが、吉本を語ることは自分史を語ることになりがちなようである。吉本の著作が吉本という人間と切り離されて理解される未来が来るのだろうか?

 橋爪はこのようにとらえる。「吉本さんは、外部の権威を信じない。権力を信じない。(中略)自分は個である。個人であり、何物にも制約されず自由である。そして文学を信じる。文学の理念を信じる。自分が何ものかを、語りうることを信じる。何ものかを語りえたときに、それが真実であることを信じる。それが何ゆえかというと、実際に自分の心のなかで、こういうことがほんとうに起こっている、それを信じる。」(87ページ)これを成立させるの吉本の強い訴求力をもつ詩的言語である。

吉本隆明という「共同幻想」 呉智英著 筑摩書房 2012年

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from 吉本隆明が最後に遺した三十万字〈上巻〉「吉本隆明、自著を語る」 - はてなキーワード

to 永遠の吉本隆明【増補版】 (新書y) - はてなキーワード

 若いころに「インテリ大戦争」を愛読した。吉本の名前も呉智英に教えて貰ったと思う。名古屋出身でない名古屋市民としては、呉や三遊亭円丈の不機嫌そうな顔を見ると名古屋人だなあと思う。この毒気が非名古屋人にも魅力なのであるがそればかりだと辟易としてくる。本書は吉本の言葉を平易に翻訳するなど著者一流の皮肉に満ちているが、批判本というほど腰の据わったものではない。そもそも市井の思想家、原理主義者といった点で呉と吉本は共通点が多いと私は思う。吉本に対する尊敬の欠如が本書に満載された皮肉を単なる皮肉にしていて残念である。照れているのだろうか?

 吉本隆明は敗戦という経験ともっとも真摯に向かいあった現代人だったのではないだろうか。「吉本隆明、自著を語る」を読むと苛烈な転向者、非転向者に向けた批判に込められたまっすぐな気持ちが伝わってくる。主知主義原理主義は戦争を生む。しかし、保守思想に流れず主知主義的思考を貫徹したのが吉本だったと考えている。

「エレクトラ―中上健次の生涯」 高山 文彦著 文藝春秋社 2007.11

エレクトラ―中上健次の生涯 (文春文庫) - はてなキーワード

TO 評伝中上健次 - はてなキーワード

 中上健次は自分にとって特別な作家だった。こんな伝記が出ていたことは知らなかった。非常に楽しめたが、「岬」で芥川賞を受賞するまでがほとんどをしめ、10章が「枯木灘」と「紀州」、最終11章が病没の周辺で、作家の全体像を描くには至らなかったか。
 もう殆ど純文学は読まなくなった。最後に村上龍を読んだのは「ヒュウガ・ウイルス」だろうか。村上春樹は昭和型(あえていうと)の純文学とはジャンルが異なるのではないだろうか?フォークナーに影響を受け雄大な叙事詩的文学を志向した点で、中上健次ガルシア・マルケス、バルガス・リョサ、あるいはギュンター・グラスとの通底、同時代性が示唆されている(343ページ)が、ロベルト・ボラーニョについてどう思っただろう? 

「掘った、考えた」 大塚初重、鶴原徹也著 中央公論新社 2016年

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from 継体天皇と朝鮮半島の謎」水谷 千秋著 文春新書 2013 - いもづる読書日記

   石の虚塔: 発見と捏造、考古学に憑かれた男たち - はてなキーワード

   考古学崩壊 前期旧石器捏造事件の深層 - はてなキーワード

to  邪馬台国をとらえなおす (講談社現代新書) - はてなキーワード

 

 大塚初重氏は明治大学名誉教授で考古学者、聞き書きなので読みやすい。1926年生まれで戦争にも行かれたそうで、前半は自伝的な内容になっている。ご専門の古墳自体については「弥生時代の方形周溝墓が派生し、その後、墳丘が高くなって前方後方墳が出現したと言える。前方後方墳は日本の古墳出現期の墳墓だ、と私は考えます。」(119ページ)と明快に述べられてます。
 3年ほど前、いわゆる旧石器捏造事件にかかわる「石の虚塔」、「考古学崩壊」を読んでいたのだが、著者は事件とのかかわりが深い芹沢長介東北大学名誉教授と同門だったこともあり、含蓄の深い言葉を寄せている。「1960年以降の国土開発で新幹線・鉄道・高速道路が敷かれ、工業団地・ニュータウンが次々に造成されます。工事で遺跡が出てくる。遺跡の資料を保存・記録するために緊急発掘し、その後、遺跡を壊して開発を再開する。」(175ページ)「考古学の新事実が続々出てきます。マスコミがやってくる。『最古』『最大』『最初』という言葉が躍ります。(中略)考古学者がチヤホヤされ、拍手喝さいを浴びる。次第に考古学者が溺れる。おごるんですね。それがあの藤村氏を生んだ。」(175ページ)