さよならテレビ ドキュメンタリーを撮るということ 阿武野勝彦 平凡社新書976 2021/06

さよならテレビ - 平凡社

私はドキュメンタリー映画が好きで、ニッポン国古屋敷村小川紳介)とか、早池峰の賦(羽田澄子)とかよく見た。名古屋在住だったこともあって、「人生フルーツ」など東海テレビのドキュメンタリーもまあまあ見ていた方だと思う。でも、本書が出版されるきっかけとなった番組「さよならテレビ」は未見だ。「さよならテレビ」は所属するテレビ局を内側から描いたドキュメンタリーであるらしい。昔ながらのジャーナリズム意識が薄くなり、(他の企業と同じく)常勤社員と外部委託スタッフの格差の問題を抱え、新自由主義的な経営改革で絞られるテレビ局が描かれているようだ。「傷を、どう診てどう処置するかで、命の先行きが決まる。傷と認識せずに放っておいたら死ぬことだってある。認識の相違だなどと放置していられるほど、いまのテレビの傷は浅いのだろうか」(37ページ)
生身の人間の存在感と、それを編集し並べることで顕現するストーリー。ドキュメンタリーというのは大きな発明だと思う。テレビ局にはそのノウハウがある。それはテレビというメディアの行く末とは別問題なんじゃないかな。