未完の西郷隆盛: 日本人はなぜ論じ続けるのか (新潮選書) 先崎彰容 新潮社 2017/12/22

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文学と非文学の倫理 吉本隆明;江藤淳 中央公論新社 2011/10/22 - いもづる読書日記

 話題の本だし「西郷どん」も終わったことだし、ちょっと読んでみましたという程度だったが、有用だった。長くなるが終章から引用する。「西郷隆盛を手がかりに、日本の『近代』を問い直した五人の思想家を俯瞰してきた。(中略)福沢諭吉は『情報革命』により、人びとが不確かな情報に翻弄され、極端な善悪二元論へと傾いていく危険性こそ近代の病理と考え、その象徴を西郷と西南戦争の敗北に見いだした。中江兆民は『経済的自由放任主義』が社会の紐帯をおびやかし、日本人から政治的自由を奪っていく状況を近代特有の現象ととらえた。(中略)大アジア主義者の頭山満は、『有事専制』が天皇から包容力を奪い、人民の意見が広く容れられる理想の政体の実現を妨げていると明治新政府を鋭く批判した。こうした閉塞感を打破してくれる象徴的存在として西郷を祭り上げたが、最終的には、自身の配下からテロリズムへ駆りたてられる狂気も生みもした。橋川文三もまた、明治新政府が作りあげた『天皇制』が日本人に閉塞感をあたえているとし、それを超克する道を西郷の南島体験に模索しようと試みた。そして最後に江藤淳は、アメリカを筆頭とする西洋の普遍的価値が、日本人から言葉を奪い、日本を全的滅亡へと導くことが近代であった、と喝破したのであった。」(239ページ)

 大日本帝国軍は死に憑りつかれていたとしか思えない。江藤淳はニ・ニ六事件が西郷挙兵の瞬間から国軍の構造に潜伏していた、敗北と滅亡に憧れる軍隊だったと考えた。西郷は島津斉彬への忠誠心を天皇へのそれに置き換えることで生き延びようとしたが、これは日本近代の集団催眠術でもあったのか。正月の一般参賀今上天皇スマホを向ける善男、善女を見て、天皇制のパターナリズムが命脈を保っているのか、判断に迷った。