ジャズの証言 新潮新書 山下洋輔 、相倉久人 2017/05/17

山下洋輔、相倉久人 『ジャズの証言』 | 新潮社

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スペインの宇宙食 小学館文庫 菊地成孔 2009/4/7 - いもづる読書日記

 

 1月の大友良英"Jazz Tonight"の山下洋輔特集回を聴いて本書を読んだ。本書で言及される音源もいくつかOn Airされ、参考になった。本書は相倉久人の死後(2015年)、追悼本として出版されたらしい。相倉のオーガナイザーとしての活躍がハイライトされる内容になっている。私は、相倉はもっと若い、小倉エージくらいの人かと思っていた。「相倉 そのうちNHKの仕事が来て、評論家の主軸がロックになり、気が付いたらロックのことをたくさん書いていました。(中略)世間ではジャズは盛んで、ジャズを語れる人間は需要があるのかもしれませんが、ぼくは正直言って第一線ではない」(150ページ)一時、”ジャズは死んだ”と語ったり、過激な、シリアスな方だったんだ。
 日本におけるフリー・ジャズの受容史として興味深かった。クラシックがロマン派→印象派→現代音楽と出世魚したという認識が正しくないのと同様、ビバップ→モード→フリーという出世魚も正しくない。本書ではジャズが現代音楽を横目で見ている様子が描かれ、ジャンル間の相互作用も重要と思った。下記は表現者としての矜持と共感が示されている。「山下 相倉さんと付き合ううち、言葉の端々から次第に分かってきたことがあります。(中略)『とにかく何か出るまでやれよ』というスタイル。互いに予定調和的なものを見せられても、聴いてる側は少しも面白くないんだよ、というメッセージをぼくはコルトレーンから受け取りました。(中略)今そのときその場で生まれたものがまるごとステージにあって、しかも演奏者自身が自分でも分からない別モノになってしまっているという、そんな瞬間をみんな待っているんじゃないかとー。
相倉 ああ”飛ぶ感覚”だね。ぼくは楽器はできないけど、文章を書く経験から分かることがあります。書いていると、ものすごく見えることがある。たとえば出来のいいエッセイが書けたときは、途中から分からなくなって書いていることが多いんですね。どこかで完全に、”飛んじゃって”いる。(中略)でも、そういう場合の方が、活字になったものを読むと自分でも感動するようなものに仕上がっていたりする。(中略)逆に計算通りに運んだものは、出来上がったものを読み返してみても、そういうレヴェルまで高まってはいないんですね。」(126ページ)