伽耶は日本のルーツ 新泉社 2006/9/1 澤田洋太郎

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内戦の日本古代史 邪馬台国から武士の誕生まで (講談社現代新書) 2018/12/19 倉本 一宏 - いもづる読書日記

東アジアの動乱と倭国 (戦争の日本史1) 吉川弘文館 2006/11/16 森公章 - いもづる読書日記

「継体天皇と朝鮮半島の謎」水谷 千秋著 文春新書 2013 - いもづる読書日記

 

著者は1927年生で著書多数、残念ながら2014年に亡くなっているらしい。本書のはしがきには専門学者の禁欲的な著述態度に対し、「思い切った仮説を導入」するのだと宣言されている。確かに、踏み込んだ主張が盛りだくさんである。「崇神天皇景行天皇はそれぞれ多羅、安羅から日本に渡ってきた伽耶人で、これらの王朝が入れ替わりながら倭国が統一されていった。」(154ページ)、「欽明天皇金官加羅の王族であった」(199ページ)、「近江の天智王朝が百済系の勢力によって支持されていたのに対し、大海人皇子は美濃周辺の新羅系の人々と反近江の豪族の応援を得て革命に成功した。」(207ページ)と目が回るようである。
卑弥呼系図については「天皇家卑弥呼系図(新泉社; 新装版 (2018/3/31))」に詳しいようだが、さわりを本書から引用しておく。「『魏書』が伝える邪馬台国女王卑弥呼の名は有名であるが、それが日本の国内文献に記されているなどどいうことは、1980年まで誰一人として思いもしなかった。ところが82年に京都府の高校教員であった金久与市氏が、『古代海部氏の系図』という著書で初めてその謎に迫った。同氏は(中略)その系図の中に卑弥呼の名を発見したのである。ところが、もう一つ、『先代旧事本紀』には『尾張系図』というのが載っている。この二つの系図は、別べつに伝えられ文字の表示は多少異なるにもかかわらず、その内容はほとんど同じである。(中略)金久氏が『これが卑弥呼である』としたのは、その第九代目のヒメノミコト(日女命)のことである。しかも、この女性には弟彦命という兄弟が記されているのである。『魏志』には『卑弥呼には男弟がいる』とある。しかも、その二代後には、もう一人ヒメノミコトがいて、その名がオトヨ(小止与)姫となっている。卑弥呼の死後にあとをついだのは、『宋女トヨ(台与)』であった。」(162ページ)この海部氏がもともと豊後に居しており、その後丹後に移っていることから、邪馬台国は豊後(大分県)付近にあった。そして、卑弥呼の死に伴って邪馬台国(台与)から袂をわかって離れていったグループがあったことが、「神武東征」の故事になぞらえられている、と想像の翼は広がっていくようである。