「白村江」以後 ― 国家危機と東アジア外交 (講談社選書メチエ) 1998/6/1 森 公章

『「白村江」以後』(森 公章):講談社選書メチエ|講談社BOOK倶楽部

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白村江 古代東アジア大戦の謎 講談社現代新書1379 講談社 1997.10 遠山美都男著 - いもづる読書日記

律令国家になって行く日本の方向性を決定した白村江の敗戦を描いた好著。敗戦以降日本は多くの亡命百済人を受け入れ、唐が攻めてくることを恐れて国防を固め、律令や冠位を整備して唐に伍する国になろうと努めた。唐と連携して百済高句麗を滅ぼし半島を統一した新羅は、やがて唐と対立し、日本のバックアップをもとめて「朝貢」して来る。こうした外交関係の幸運と、島国であることのメリットによって、日本はプライドを回復するが、外交感覚の欠如が欠如していたために健全な自己理解が及ばない。著者は、日本外交は国内に向けては日本中心主義、対外的には事大主義という2面制をもっていたとする。「その一方で、白村江の戦で露呈した外交面の欠点、すなわち一国中心主義で多面的な外交が展開できない、個別対応で普遍的な原理・原則が示せない、国際情勢に対する関心が薄く、把握が甘いといった点は解消されないまま抱え込まれたことになる。」(224ページ)第二次世界大戦という新たな敗戦を経て、現代の日本はアメリカ一国中心主義という外交の「隘路」に再びおちいったというのが著者の見立てである。深く納得したので、このテーマはもう探索しなくてもいいかな。