斎藤環、與那覇潤 『心を病んだらいけないの?―うつ病社会の処方箋―』 | 新潮社
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中国化する日本 日中「文明の衝突」一千年史 與那覇潤 2011/11/20 - いもづる読書日記
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『知性は死なない 平成の鬱をこえて』與那覇潤 | 単行本 - 文藝春秋BOOKS
ヤンキー文化、家族、承認格差、ひきこもり、発達障害、AI、抗うつ剤、オープン・ダイアローグといったテーマに沿って、大変な量の情報が流れていく。実際の対話は本書の3~4倍はあったそうだ(あとがき)。お二人の思考の深さに圧倒される。時代の閉塞感を反映したシリアスな対話になっている。
斎藤「第二次大戦後の現代思想は『実存主義』から始まりました。これは旧来の常識や社会的な虚飾を取り払って『それでも残る人間らしい価値とは何か』を問い詰めてゆくものなので、その意味で人間主義的でした。反人間主義の哲学とは、その後出てきた『構造主義』や『ポスト構造主義』ですね。人間を捉えるときに、その意識的・主体的な側面を中心に捉える考え方をやめて、無意識や社会関係に潜在している関係性の構造のほうが、行動のありようを決定づけていると考える。」(中略)、與那覇「構造主義とポスト構造主義をあわせて、一般には『ポストモダン』の思想と呼ぶわけですけど、彼らは『人間主義による抑圧』を批判したのであって、人間は何もしなくていい、バカなままで構造に従っていればいいと言ったわけではないですよね。」(173ぺージ)斎藤「人間を中心に思考するのが悪いというより、人間主義は『全員がこうでなくてはいけない』『それに反するものは非人間的であり、排除すべきだ』と言った価値観と結びつくところに問題があるんです。そういう尊大な圧力の煩わしさが嫌われて、むしろ技術を中心に考えよう、ビッグデータで最適なマッチングができれば『人間とはなにか』なんて気にしないでいい、という気分を反映したのがAIブームでした。」(177ページ)では、新しい時代の人間主義、新しい倫理観を獲得していかなくてはならないが、それはどんなものになるのか?