チベット・曼荼羅の世界 : その芸術・宗教・生活 東北大学西蔵学術登山隊人文班報告 色川大吉編 小学館 1989

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色川大吉さんで何か、と思ったらこの本が引っかかってきた。1986年に東北大学チベットに登山隊を派遣し、ニェンチェンタンラ峰(7162m)を初登頂したが、同時に学術調査を行う学術班を派遣した。(同時期に大学院にいた私は登山の方の報告会に出席したような記憶がある。)色川氏はその学術班人文班の班長で、その成果である本書の編者でもある。京大の山岳部といえば今西錦司、西堀栄三郎、梅棹忠夫といった名前がすぐに出てくるが、本書も色川(旧制二高から東大)、山折哲雄といった豪華な面々が並ぶ。きっと同じ釜の飯を食べたホモソーシャルな関係で結ばれていたのであろう。
このチベット訪問の直後、1987年9月と1988年3月に「チベット暴動」が起きる。「1959年のラサ蜂起(チベット動乱)のあと中国軍の徹底的な弾圧をうけ、さらに文化大革命による追い打ちをうけて、大半の寺院が破壊されたにもかかわらず、チベットでは宗教が根絶やしにされることはなかった。科学的世界観を誇るマルクス・レーニン主義と、中国共産党による解放政策の”恩恵”によっても、チベット人の内面から仏教への信仰を追いだすことはできなかった。それは中国の統治のしかたがまずかったからでも、チベットの人民が愚昧だったからでもない。民族問題を軽視し、『革命』をおしつけ、宗教の本質を理解できなかった外来支配者たちの認識の誤りによるものだと私は思う。」(291ページ)
次のような記述にも時代を感じる。「日本人の中国観はたいへん独特である。(中略)右から左までの主流が熱烈な親近感を寄せるようになっている。それは日本人の過去の中国侵略への罪障感と、かつての東アジアの文化大国であった中国民族に対する畏敬との複合であろう。」(10ページ)牧歌的だった。