色川大吉歴史論集 近代の光と闇 色川大吉 日本経済評論社 2013年01月

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日本の歴史をよみなおす(全) 網野善彦著 ちくま学芸文庫 筑摩書房 2005/07/06 - いもづる読書日記

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多様な日本列島社会 - 岩波書店

本書の第一章は「近代の光と闇」とされ、「光」として宮沢賢治を、「闇」として麻原彰晃を扱う、としている。宮沢賢治は昭和恐慌、治安維持法による言論封殺という暗い時代を背景にしている、という指摘は新鮮だ。早逝した賢治に対し「北原白秋にしても萩原朔太郎にしてもそうですが、いずれ、どこかで妥協し、戦時下の重苦しい雰囲気の中で自分をごまかすか、沈黙するか、あるいは転向してまうか、していたのです。その中で宮沢賢治が闇夜の星のように光っていた。」(4ページ)筆者は農村運動の経験からこう書く。「百姓の狡さ、古さ、愚かさ、これは賢治の壁ですね。賢治のぶつかっていた壁でもあるのです。(中略)共同体というのは個人へのしめつけや干渉ばかりでなく、一人一人を生かす道具でもあったのです。もちろん地主制の下の村はぞっとするような陰惨な差別や搾取の構造を含んでいますから、これらの社会の仕組みの全体を一所懸命見ようとしています。」(12ページ)戦中派である筆者の語る宮沢賢治はより具体的で、立体感を持った像を提示している。
一方、麻原彰晃については、事件当時喧しかったワイドショーの言説と本質的な違いがあるだろうか。「麻原と教団の転換点になった1990年前後は、米ソの対決が終わり個別の近代国家の限界が見通されるようになった世界史的な画期であった。この時期になぜ、麻原が『国家』との対決や、『武装化』の方向に向き変えたのか」(78ページ)「天皇制を解体するはずの者が、なぜまた同質の位階制や拘禁制を自らの中に再編するのか。(中略)歴史の刻印というものの執拗さ、深さをあらためて私たちに思いしらせる。(中略)さらに、その底部に、世紀末近代への手の施しようのない虚無感が暗い淵のように口をあけ、泥流のように流れているのではないかと私は恐れる。」(84ページ)深刻な慨嘆調なのだが、結構矛盾も感じるし、「昭和」の一言で処理されてしまいそうな言説だ。わからないなら語らなければよかろうに。