僕の樹には誰もいない 松村雄策 河出書房新社 2022.10.26

僕の樹には誰もいない :松村 雄策|河出書房新社

「僕の樹には誰もいない/松村雄策」書評|橘川幸夫|note

松村雄策・追悼記録|橘川幸夫|note

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プリーズ・キル・ミー アメリカン・パンク・ヒストリー無修正証言集 | ele-king

3月12日に亡くなった、歌手、文筆家というよりビートルズファンを貫いた松村雄策の遺著。その死に、驚くほど多くの反響があったことは巻末の「本書について」にも詳しい。
何度か「ビートルズファンは冷遇されていた」という話が出てくる。70年代のロックファンの興味の対象は主にレッド・ツェッペリンキング・クリムゾンだったということだ。先日WOWOWでクリムゾンのドキュメンタリーをやっていた。現在のクリムゾンの客層はもちろん老人ばかりだ。うろ覚えだがファンが「これは宗教のようなものさ」と自嘲的に語っていた。現在のクリムゾンは高性能懐メロバンドだと思うが、これはリーダーのロバート・フリップのバランス感覚に多くを負っている。懐メロが商売になるという現実感覚と、高性能化することで下品にならない審美眼があってのことだと思う。それで既発のアルバムを聞くかというとどうだろう?作品が繰り返し聞かれるビートルズは確かに特筆的な存在だ。いずれにせよ過去になったということだ。
「プリーズ・キル・ミー」というニュー・ヨーク・パンクの本について語った章が興味深かった。「基本的に、パンクというのは、CBGBを中心にして数ブロックのものだった。だから数年経ってアメリカ中に広まったときには、本人たちにはわけがわからなかったらしい。(中略)ニュー・ヨークのパンクとロンドンのパンクは違っている。ニュー・ヨークのパンクは先達を尊敬していた。しかし、ロンドンのパンクは、馬鹿にしていた。ローリング・ストーンズは太った豚だなどと、平気で言っていた。」(196ページ)。ニュー・ヨークのローカルなパンクシーンの伝統はDNAなどノー・ウェーヴにもつながっていくものだろう。そしてフリクションなど東京ともつながっている。ある種の尊敬をこめて、というあたりは上記モブ・ノリオが述べていることにもつながる。一方で、ジョニー・ロットンパティ・スミスを「ヒッピー」と馬鹿にしていた。この批評性がロンドン・パンクの本質かもしれない。今のライドンは一言居士のようだし。
ビートルズをロックの源流と捉える「ビートルズ史観」は、プレスリーなどロックン・ローラー達をないがしろにしていると評判が悪い。後者の意見に立つのが、ミュージック・マガジン派と単純化してもそれほど間違いではないかな?で、音楽の歴史よりは自分語りを優先するロッキング・オン派の松村が、頭でっかちかというと、そんなことは全くない。中2病といえばこれほど中2病な人はいないかもしれないが。先達を大切にする穏やかな保守性が、ロック・スピリットと同居していることが好ましく感じる。ロックも遠くなりにけりか?