美しい古墳 - 白洲塾長の世界一毒舌な授業 - (ワニブックスPLUS新書) 白洲信哉, 秦まゆな ワニブックス 2017/10/10

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倭国の時代 岡田英弘 筑摩書房 2009/02/01 - いもづる読書日記

「継体天皇と朝鮮半島の謎」水谷 千秋著 文春新書 2013 - いもづる読書日記

 

 山辺の道、河内、岡山、北関東と古墳を訪ね、毒舌塾長と塾生がおしゃべりをするという趣向の本。写真や図も豊富で楽しく、観光ガイドとしても読める昨今流行りの雑誌のような新書だ。語られている内容は興味深いのだが断片的で良い放しの感は否めない。それは著者の立場がはっきりしないせいで、白洲正子がとか小林秀雄がとかの記述も「くすぐり」としか思えない。もうちょっと本気の本が読みたいなと、期待をこめて。

イノベーションはなぜ途絶えたか: 科学立国日本の危機 (ちくま新書1222) 山口栄一 筑摩書房 2016/12/06

イノベーションはなぜ途絶えたか: 科学立国日本の危機 (ちくま新書1222) - はてなキーワード

 

 日本企業の技術開発力の低下と、日本のアカデミズムの研究力低下について述べた本。著者はその大きな要因を「中央研究所時代」の終焉にもとめる。「90年代後半に入って、日本企業は米国のベル研究所IBMといった民間研究機関に追随する形で、研究から手を引くことをほぼ一斉に決めた。」(13ページ)米国ではこのイノベーションの空洞をベンチャー企業が埋めた。米政府はSmall Business Innovation Research (SBIR) プログラムによってベンチャー起業を積極的にプロモーションした。「『スモール・ビジネスこそがイノベーションを起こす』という考え方の裏には、『大企業にはもはやイノベーションを起こせない』という洞察がある。『SBRI』という言葉そのものに、そうした思想がこめられている。」(88ページ)一方日本は「中小企業技術革新制度」を施行したが、ここには見るべきイノベーションはなく単なる中小企業支援制度と堕した。これはSBRIの思想をくみ取れなかった行政の危機感の無さとともに、技術の目利きを行う科学行政官の不在が挙げられている。日本では中央研究所の閉鎖とともに研究を目指す大学院生の数が低下した。米国では研究者、大学院生がベンチャー設立を将来設計の視野に入れているが、日本ではこうした社会的風土が存在しない。「私が2002年に米国国立衛生研究所(NIH)を訪れ、そこに集う若きポスドクたちに『将来何になりたいか』と問うたところ、ほとんど全員が『研究者ではなく、プログラム・ディレクターになりたい』と答えた。」(126ページ)。
 本書の後半部は企業の運営における科学の不在と、科学者の社会的責任について割かれている。2005年の福知山線脱線事故や2011年の福島第一原発事故に際して、企業経営者が基本的な科学的知識を書いていたことを挙げ、「科学を企業に埋め込む」(209ページ)必要性を説く。「科学の専門家が組織の意思決定システムにいないことに加え、分野を横断して縦横無尽に行き来する水平関係のネットワークの欠如が、東電の原発事故やJR福知山線事故のような不幸を招いた構造的要因となったと言えるだろう。」(183ページ)そのために、理系的知と文系的地が互いに「越境」し刺激しあう「共鳴場」としての大学院を提唱する。
 「科学とトランス・サイエンスの境界」(157ページ)という問題提起も重要である。上記過酷事故のような科学だけでは処理できない問題(トランス・サイエンス問題)に対し、どのように科学がかかわっていくか提言している。私は「科学者の身分保障と問題への公平無私な関与で解決される」と読んだ。本書は多くの興味深い視点を提供し、熟考したうえで多くの提言がなされている。しかし、指し示す未来像に十分な説得力がない。これは「絶望」が足りないのではないかと思う。例えば、シャープを買収した鴻海が成功した理由を経営者のカリスマ性や台湾人のマインドにのみもとめるのは、日本の閉塞感への解決策にはならい。我々をしばっているものの本質に迫らなければ大胆なマインドセットの変更はありえない。

 

銀輪の巨人 野嶋 剛 東洋経済新報社 2012/6/1

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 GIANTは1972年設立の台湾の自転車メーカー。他社ブランドOEM生産から、自社ブランドによる国際市場での確立、中国への進出成功という物語が語られる。第5章(本書では第5走)は「自転車産業が衰えた国、日本」と題して、かつて自転車大国であった日本の凋落が語られる。「製造業はコストとの戦いだ。生産現場は常に安い人件費を求めて、多くの国をさまよう。(中略)それぞれの国が生産拠点を持った後、その産業を自分のものにするチャンスを生かすことができれば、世界的な販売力を持つナショナルブランドを持つことができる。(中略)自転車のチャンスは1990年代後半だったのではないだろうか。国内生産と中国からの輸入のバランスが取れている時期だった。この時期に、日本のメーカーがもし台湾のように国内生産を中・高品質の自転車に転換する方向に舵を切っていたらー、そう思わざるを得ない。」(164ページ)。「ジャイアントがここまでの成長を可能とした理由とは『絶え間ないイノベーションへの意欲』と『企業としての生き残りへの危機感』、そして『トップによる長期的判断に基づく大胆な決定』の三つではなかったかと思う」(171ページ)。このあたり今読んでいる「イノベーションはなぜ途絶えたか」に通底するかなと思う。
 私は2003年にGIANTのマウンテンバイクを買って自転車生活を始めた。2015年に丸石エンペラーを買うまで巨人号は楽しい遊び相手だった。自転車に乗ると全く違う視座から世界が見えると思った。本書はGIANTの成功物語であるが、登場人物が自転車を体感しているという一点でも親近感が沸く。自転車の不思議さである

路地の子 上原善広 新潮社 2017/06/16

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from 一投に賭ける 溝口和洋、最後の無頼派アスリート 上原善広 角川書店 2016/07/01 - いもづる読書日記

「エレクトラ―中上健次の生涯」 高山 文彦著 文藝春秋社 2007.11 - いもづる読書日記

 

 上原善弘は中上健次にならって被差別部落を路地と呼ぶ。本書は著者の作品の中で最も中上健次からの影響が強い。なにしろ「上原龍造」である。「音羽のヒデという若者は、博徒で鳴らした男で、気風がよいので路地では知られていた。龍造も通りすがりに、小銭をもらったことがある。しかしひと月前、ヒデは飛田での抗争に巻き込まれ、ピストルで撃たれて死んでいた。『ここの極道はだいたい、飛田の支店や、だから、ええように使われて死ぬのがオチや。生き残っても体ボロボロになる。だから龍ちゃんは人に使われるようになったらあかんで。』」(45ページ)。「千年の愉楽」かと思う。そういう意味ではそれなりの雰囲気を提示することには成功している。末尾に「自伝的ノンフィクション」と謳っているわりに、内容の多くはフィクションらしいが、それでも構わないと私は思う。ただ、全体に竜頭蛇尾だし、自家撞着的な「おわりに」は噴飯ものだ。ギリシャ悲劇というよりは中二病の述懐だ。結局、中上健次の出来の悪いパロディという位置づけが相応しいかと思う。自分の父親という貴重な題材なのに(だから?)、うまく料理できなかったか。好きな作家だっただけに残念だ。

二十世紀論 (文春新書)福田和也 文藝春秋 2013/02/01

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from 江藤淳という人 福田和也 新潮社 2000/06 - いもづる読書日記

to 奇妙な廃墟―フランスにおける反近代主義の系譜とコラボラトゥール (ちくま学芸文庫) - はてなキーワード

 

 福田和也二冊目。「奇妙な廃墟」も買ってあるのだが後回しになっている。本書は「これから生きていかなければならない二十一世紀について考えるためにはまず、私が生きてきた四十年を含む二十世紀が果たしてどのような世紀であったか考える必要がある」(5ページ)という問題意識で書かれた。前書きで二十一世紀の世紀の変わり目は2008年のリーマンショックであったとされるが、二十世紀のそれは第一次大戦であったとの結論だろう。筆者は1960年生まれで私より一つ年長なのだが、感覚はずいぶんと古くさい。本書に著されるサルトル像はたしかに「戦争の二十世紀」の遺物として相応しい。しかし、サルトルが同世代人であるレヴィ・ストロースに批判されたことが時代の画期であり、欧米中心史観が思想的に瓦解する端緒であったことを知っている私たちには、本書は歴史映画のように(あるいはそのパロディのように)空虚だと思う。

うつ病九段 プロ棋士が将棋を失くした一年間 先崎学 文藝春秋 2018/07/13

うつ病九段 プロ棋士が将棋を失くした一年間 - はてなキーワード

 私は以前より先崎学九段のファンである。将棋の内容はわからないが彼の書いたものの愛好者で「先崎学の浮いたり沈んだり」シリーズはだいたい読んでいると思う。昨年夏、氏が休場を発表した際、不思議に思ったし心配していた。なので、本書は待ち望んでいたものだった。うつ病患者が自ら書いた闘病記はめずらしいと思う。入院にいたるまでの記述は生々しく恐ろしい。「正確にいうと、電車に乗るのが怖いのではなく、ホームに立つのが怖かったのだ。なにせ毎日何十回も電車に飛び込むイメージが頭の中を駆け巡っているのである。(中略)今でもあの吸い込まれそうな感覚は、まざまざと思い出すことができる。それは、生理的にごく自然に出た感情だった。健康な人間は生きるために最善を選ぶが、うつ病の人間は時として、死ぬために瞬間的に最善を選ぶ。」(13ページ)私も自分がうつ気味かと思っていた部分があったのだが、著者の見た地獄は私の想像をはるかに超えたものだったと思う。
 そこから徐々に快復されるのだが、考えることを職業とされる方なので、その能力(脳力?)の低下と回復が、あたかも定量的にとらえられ興味深い。投薬については睡眠導入薬のみ述べられているが、副作用云々の話もないので抗うつ剤は使われなかったのか、何かの差し障りがあって書かれなかったのか。「将棋は、弱者、マイノリティのためにあるゲームだと信じて生きてきた。国籍、性別、肉体的なことから一切公平なゲーム、それが将棋だ。(中略)うつ病になったのをまわりに隠さず、病院にも皆に来てもらったのは、こうした私の思想的バックボーンがあったからだ。そしてこの本を書く有力な動機にもなった。」(184ページ)これからも元気で頑張ってください。

丹羽宇一郎 戦争の大問題 丹羽宇一郎 東洋経済新報社 2017/08/04

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from 日本海軍はなぜ滅び、海上自衛隊はなぜ蘇ったのか 是本信義 幻冬舎 2005/10 - いもづる読書日記

永田鉄山 昭和陸軍「運命の男」 (文春新書) 早坂隆 文藝春秋 2015/06/19 - いもづる読書日記

 

 伊藤忠商事社長会長から民間出身初の中国大使を務めた著者の戦争論、安全保障論。戦争が経済活動の観点からも不合理であることが述べられる。本書の前半では、1939年生の著者が、第二次大戦経験の風化と社会の右傾化への危機感から、戦中派の方達への取材を経て、戦争を行うことの愚かさを語っている。石橋湛山の言葉が印象的だ。「要は我に資本ありや否やである。もしその資本がないならば、いかに世界が経済的に自由であっても、またいかなる広大なる領土を我が有していても、我は、そこに事業を起こせない。」(134ページ)とし、小日本主義を主張したそうである。また、真の安全保障政策は政治と外交であり、決して軍事を意味しない。最も重要な抑止力は政治家の質であると述べている。だからこそ旧陸軍皇道派のような輩の跋扈をゆるしてはいけないのだが。