私は「毛主席の小戦士」だったある 中国人哲学者の告白 飛鳥新社 2006.10 石平著

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八九六四 「天安門事件」は再び起きるか 安田峰俊 KADOKAWA 2018/05/18 - いもづる読書日記

「八九六四」にも登場した石平氏の自伝的な本。文革時代に「毛主席の小戦士」だった著者が、民主化運動とその弾圧を体験し、日本へ渡って共産党政権に批判的な立場をとるようになった歩みが語られる。「かの毛沢東が、『共産主義の理想』という虚偽の世界観を持って、我々の世代を洗脳したように、かの鄧小平が『政治改革』という方便としてのウソを持って、我々の世代を騙したように、『3代目』の江沢民共産党政権は、またもや『愛国主義』いう都合の良い狂言を持ち出して、われわれを、次の世代の若者たちを、中国の国民全員を欺こうとしているのである。」(113ページ)現在の著者はこのように相対化してみる視点を獲得している。一方で、この過酷な経験で著者の心は癒しがたい傷を負った。「今から思えば、1989年6月4日という日は、私にとって人生の生まれ変わりの日であった。青春時代の理想と思いは、胸の一番奥に葬られ、情熱が心の中から消え去った。『あの国』に精神的決別を告げることによって、心の平静さを取り戻すことはできたが、その反面、いわば政治的ニヒリストとなり、一種のしらけた、冷笑的な精神を持つようになった。」(51ページ)
著者の祖父が秘かにとった論語教育と、著者が日本でそれと再び出会うくだりは、日本人としてはややくすぐったい。「そして、今の中国の大地で生きているわが中国国民こそ、論語の心や儒教の考え方からは、もっとも縁の遠い国民精神の持ち主であると、多くの中国人自身が認めざるを得ない厳然たる現実なのである。少なくとも、私自身から見れば、世界にも稀に見る、最悪の拝金主義にひたすら走りながら、古の伝統とは断絶した精神的貧困の中で、薄っぺらな『愛国主義』に踊らされている、現在の中国国民の姿は、まさに目を覆いたくなるような醜いものである。」(178ページ)習近平の中国が「愛国主義」で国民を束ねているとは思わない。むしろ、無言の締めつけが国家の統一感を保っているのではないだろうか。それが著者の「ニヒリズム」からそれほど遠いものではないような気がするのだが。