死ぬまでに学びたい5つの物理学 (筑摩選書) 山口栄一 筑摩書房 2014/05/13

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イノベーションはなぜ途絶えたか: 科学立国日本の危機 (ちくま新書1222) 山口栄一 筑摩書房 2016/12/06 - いもづる読書日記

 

 「イノベーションはなぜ途絶えたか」の著者の旧著。ニュートン、ボルツマン、プランクアインシュタイン、ドゥ・ブロイらの「知の創造」物語と、著者による解説。囲碁は入門の次が難しく、ルールを覚えてからそれなりに打てるようになるまでが大変だそうだ。入門書の次に読むとされる本が突然難しくなってついていけなくなる。この本の解説は高校物理学の一歩先を学べる、最良の参考書かもしれない。
 第5章「科学はいかにして創られたか」は旧著でも述べられたイノベーション進展の態様だが、より具体的で、より説得力があると思う。科学が自走的に進展する段階、社会に影響を与えず、研究者の暗黙知で展開する段階を著者は「夜の科学」と呼ぶ。何やらロマンチシズムを感じるが、現代の学界はもう少し生臭い。論文化より特許を優先する傾向とか、GLPとか「夜の科学」の自立性を脅かす状況が研究者の首を絞めつつある。人工的な照明が暗闇の魔法を無力化するかのようだ。魔力を失った魔法使いは道化として生きるのか?

AI vs. 教科書が読めない子どもたち 新井紀子 東洋経済新報社 2018/02/02

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誤解だらけの人工知能 ディープラーニングの限界と可能性 (光文社新書) 田中潤, 松本健太郎 光文社 2018/02/15 - いもづる読書日記

人工知能はどのようにして 「名人」を超えたのか?―――最強の将棋AIポナンザの開発者が教える機械学習・深層学習・強化学習の本質 山本一成 ダイヤモンド社 2017/05/11 - いもづる読書日記

 

 著者はAI開発に携わる数学者。「ロボットは東大に入れるか」プロジェクトを主導されている。自然言語処理を行うAIも意味が分かっているわけではない、真のAIは存在しない、シンギュラリティは到来しないと辛口の記述が続く。第3章は中学生、高校生が論理的な読解力に劣っていることを示す。AIにとって替わられない仕事を行うためには、状況を分析し理解する能力が必要だが、現在の中高生はかなり危機的な状態にあるということだ。
 知識と論理は十分、データの裏付けも豊富で浮世離れしているわけでもない。でも、あまり良い読後感はしない。こういう確固たるコンセプトは、こういう露骨に聞き書きの体裁ではなく、もっとちゃんとした文体で出版されることをお勧めするなあ。状況論的な話になるといきなり床屋政談になってしまうのも理系ならではか。

 

蘇我氏 ― 古代豪族の興亡 (中公新書) 倉本一宏 中央公論新社 2015/12/18

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聖徳太子と日本人 大山誠一 風媒社 2001/05/25 - いもづる読書日記

倭国の時代 岡田英弘 筑摩書房 2009/02/01 - いもづる読書日記

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蘇我氏の古代 (岩波新書) - はてなキーワード

大化改新を考える (岩波新書) - はてなキーワード

 

 推古帝時代というか聖徳太子の時代に重要な役割を果たした蘇我氏の歴史を語った本。蘇我氏は始祖である稲目の時代に興った葛城系の氏族(朝鮮半島出身ではない)。馬子、蝦夷、入鹿と天皇家と姻戚関係を結び興隆した。乙巳の変蝦夷、入鹿は亡くなり、本宗家は亡んだが、蝦夷の甥である石川麻呂に始まる蘇我倉氏は大化の改新以降も勢力を保った。その後石川氏、宋岳氏と名前を変え、中級官僚として平安時代まで延命した。著者の主張は明快である。
 藤原不比等蘇我倉氏の連子の娘である娼子を妻としていたとのことである。「蘇我氏は大王家の母方氏族として、また大化前代における大臣家として、その尊貴性を認められてきた。そしてその認識は律令制の時代に至ってもなお、旧守的な氏族層、あるいは皇親の間に残存していた可能性が強い」(186ページ)。しかし、ここから時代は蘇我氏から藤原氏のものへと移っていく。
 壬申の乱について筆者は、「天智としてみれば、乙巳の変以来、(中略)自身と鎌足の二人による専制支配を続けてきた結果が、晩年に自己の王子の政権基盤として頼みにする藩屏がこれだけ(わずか4つの氏族、引用者注)に過ぎないという事態につながったのである」(160ページ)と述べている。氏族、血筋をめぐる物語の政治性がときには必要ということか。

 

美しい古墳 - 白洲塾長の世界一毒舌な授業 - (ワニブックスPLUS新書) 白洲信哉, 秦まゆな ワニブックス 2017/10/10

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倭国の時代 岡田英弘 筑摩書房 2009/02/01 - いもづる読書日記

「継体天皇と朝鮮半島の謎」水谷 千秋著 文春新書 2013 - いもづる読書日記

 

 山辺の道、河内、岡山、北関東と古墳を訪ね、毒舌塾長と塾生がおしゃべりをするという趣向の本。写真や図も豊富で楽しく、観光ガイドとしても読める昨今流行りの雑誌のような新書だ。語られている内容は興味深いのだが断片的で良い放しの感は否めない。それは著者の立場がはっきりしないせいで、白洲正子がとか小林秀雄がとかの記述も「くすぐり」としか思えない。もうちょっと本気の本が読みたいなと、期待をこめて。

イノベーションはなぜ途絶えたか: 科学立国日本の危機 (ちくま新書1222) 山口栄一 筑摩書房 2016/12/06

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 日本企業の技術開発力の低下と、日本のアカデミズムの研究力低下について述べた本。著者はその大きな要因を「中央研究所時代」の終焉にもとめる。「90年代後半に入って、日本企業は米国のベル研究所IBMといった民間研究機関に追随する形で、研究から手を引くことをほぼ一斉に決めた。」(13ページ)米国ではこのイノベーションの空洞をベンチャー企業が埋めた。米政府はSmall Business Innovation Research (SBIR) プログラムによってベンチャー起業を積極的にプロモーションした。「『スモール・ビジネスこそがイノベーションを起こす』という考え方の裏には、『大企業にはもはやイノベーションを起こせない』という洞察がある。『SBRI』という言葉そのものに、そうした思想がこめられている。」(88ページ)一方日本は「中小企業技術革新制度」を施行したが、ここには見るべきイノベーションはなく単なる中小企業支援制度と堕した。これはSBRIの思想をくみ取れなかった行政の危機感の無さとともに、技術の目利きを行う科学行政官の不在が挙げられている。日本では中央研究所の閉鎖とともに研究を目指す大学院生の数が低下した。米国では研究者、大学院生がベンチャー設立を将来設計の視野に入れているが、日本ではこうした社会的風土が存在しない。「私が2002年に米国国立衛生研究所(NIH)を訪れ、そこに集う若きポスドクたちに『将来何になりたいか』と問うたところ、ほとんど全員が『研究者ではなく、プログラム・ディレクターになりたい』と答えた。」(126ページ)。
 本書の後半部は企業の運営における科学の不在と、科学者の社会的責任について割かれている。2005年の福知山線脱線事故や2011年の福島第一原発事故に際して、企業経営者が基本的な科学的知識を書いていたことを挙げ、「科学を企業に埋め込む」(209ページ)必要性を説く。「科学の専門家が組織の意思決定システムにいないことに加え、分野を横断して縦横無尽に行き来する水平関係のネットワークの欠如が、東電の原発事故やJR福知山線事故のような不幸を招いた構造的要因となったと言えるだろう。」(183ページ)そのために、理系的知と文系的地が互いに「越境」し刺激しあう「共鳴場」としての大学院を提唱する。
 「科学とトランス・サイエンスの境界」(157ページ)という問題提起も重要である。上記過酷事故のような科学だけでは処理できない問題(トランス・サイエンス問題)に対し、どのように科学がかかわっていくか提言している。私は「科学者の身分保障と問題への公平無私な関与で解決される」と読んだ。本書は多くの興味深い視点を提供し、熟考したうえで多くの提言がなされている。しかし、指し示す未来像に十分な説得力がない。これは「絶望」が足りないのではないかと思う。例えば、シャープを買収した鴻海が成功した理由を経営者のカリスマ性や台湾人のマインドにのみもとめるのは、日本の閉塞感への解決策にはならい。我々をしばっているものの本質に迫らなければ大胆なマインドセットの変更はありえない。

 

銀輪の巨人 野嶋 剛 東洋経済新報社 2012/6/1

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 GIANTは1972年設立の台湾の自転車メーカー。他社ブランドOEM生産から、自社ブランドによる国際市場での確立、中国への進出成功という物語が語られる。第5章(本書では第5走)は「自転車産業が衰えた国、日本」と題して、かつて自転車大国であった日本の凋落が語られる。「製造業はコストとの戦いだ。生産現場は常に安い人件費を求めて、多くの国をさまよう。(中略)それぞれの国が生産拠点を持った後、その産業を自分のものにするチャンスを生かすことができれば、世界的な販売力を持つナショナルブランドを持つことができる。(中略)自転車のチャンスは1990年代後半だったのではないだろうか。国内生産と中国からの輸入のバランスが取れている時期だった。この時期に、日本のメーカーがもし台湾のように国内生産を中・高品質の自転車に転換する方向に舵を切っていたらー、そう思わざるを得ない。」(164ページ)。「ジャイアントがここまでの成長を可能とした理由とは『絶え間ないイノベーションへの意欲』と『企業としての生き残りへの危機感』、そして『トップによる長期的判断に基づく大胆な決定』の三つではなかったかと思う」(171ページ)。このあたり今読んでいる「イノベーションはなぜ途絶えたか」に通底するかなと思う。
 私は2003年にGIANTのマウンテンバイクを買って自転車生活を始めた。2015年に丸石エンペラーを買うまで巨人号は楽しい遊び相手だった。自転車に乗ると全く違う視座から世界が見えると思った。本書はGIANTの成功物語であるが、登場人物が自転車を体感しているという一点でも親近感が沸く。自転車の不思議さである

路地の子 上原善広 新潮社 2017/06/16

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from 一投に賭ける 溝口和洋、最後の無頼派アスリート 上原善広 角川書店 2016/07/01 - いもづる読書日記

「エレクトラ―中上健次の生涯」 高山 文彦著 文藝春秋社 2007.11 - いもづる読書日記

 

 上原善弘は中上健次にならって被差別部落を路地と呼ぶ。本書は著者の作品の中で最も中上健次からの影響が強い。なにしろ「上原龍造」である。「音羽のヒデという若者は、博徒で鳴らした男で、気風がよいので路地では知られていた。龍造も通りすがりに、小銭をもらったことがある。しかしひと月前、ヒデは飛田での抗争に巻き込まれ、ピストルで撃たれて死んでいた。『ここの極道はだいたい、飛田の支店や、だから、ええように使われて死ぬのがオチや。生き残っても体ボロボロになる。だから龍ちゃんは人に使われるようになったらあかんで。』」(45ページ)。「千年の愉楽」かと思う。そういう意味ではそれなりの雰囲気を提示することには成功している。末尾に「自伝的ノンフィクション」と謳っているわりに、内容の多くはフィクションらしいが、それでも構わないと私は思う。ただ、全体に竜頭蛇尾だし、自家撞着的な「おわりに」は噴飯ものだ。ギリシャ悲劇というよりは中二病の述懐だ。結局、中上健次の出来の悪いパロディという位置づけが相応しいかと思う。自分の父親という貴重な題材なのに(だから?)、うまく料理できなかったか。好きな作家だっただけに残念だ。