心を病んだらいけないの?―うつ病社会の処方箋― 斎藤環 、與那覇潤 新潮社 2020/05/27

斎藤環、與那覇潤 『心を病んだらいけないの?―うつ病社会の処方箋―』 | 新潮社

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中国化する日本 日中「文明の衝突」一千年史 與那覇潤 2011/11/20 - いもづる読書日記

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『知性は死なない 平成の鬱をこえて』與那覇潤 | 単行本 - 文藝春秋BOOKS


ヤンキー文化、家族、承認格差、ひきこもり、発達障害、AI、抗うつ剤、オープン・ダイアローグといったテーマに沿って、大変な量の情報が流れていく。実際の対話は本書の3~4倍はあったそうだ(あとがき)。お二人の思考の深さに圧倒される。時代の閉塞感を反映したシリアスな対話になっている。
斎藤「第二次大戦後の現代思想は『実存主義』から始まりました。これは旧来の常識や社会的な虚飾を取り払って『それでも残る人間らしい価値とは何か』を問い詰めてゆくものなので、その意味で人間主義的でした。反人間主義の哲学とは、その後出てきた『構造主義』や『ポスト構造主義』ですね。人間を捉えるときに、その意識的・主体的な側面を中心に捉える考え方をやめて、無意識や社会関係に潜在している関係性の構造のほうが、行動のありようを決定づけていると考える。」(中略)、與那覇構造主義ポスト構造主義をあわせて、一般には『ポストモダン』の思想と呼ぶわけですけど、彼らは『人間主義による抑圧』を批判したのであって、人間は何もしなくていい、バカなままで構造に従っていればいいと言ったわけではないですよね。」(173ぺージ)斎藤「人間を中心に思考するのが悪いというより、人間主義は『全員がこうでなくてはいけない』『それに反するものは非人間的であり、排除すべきだ』と言った価値観と結びつくところに問題があるんです。そういう尊大な圧力の煩わしさが嫌われて、むしろ技術を中心に考えよう、ビッグデータで最適なマッチングができれば『人間とはなにか』なんて気にしないでいい、という気分を反映したのがAIブームでした。」(177ページ)では、新しい時代の人間主義、新しい倫理観を獲得していかなくてはならないが、それはどんなものになるのか?

細野晴臣と彼らの時代 門間雄介 文藝春秋 2020年12月17日

『細野晴臣と彼らの時代』門間雄介 | 単行本 - 文藝春秋BOOKS

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橘川幸夫/ロッキング・オンの時代

メンター・チェーン ノーベル賞科学者の師弟の絆 ロバート・カニーゲル 工作舎 2020.12 - いもづる読書日記

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ミュージック・マガジンの本 追憶の泰安洋行〜細野晴臣が76年に残した名盤の深層を探る:株式会社ミュージック・マガジン

はっぴいえんどからイエロー・マジック・オーケストラを経て、一昨年(2019年)にデビュー50周年を迎えた細野晴臣の伝記。著者は元ロッキング・オン社の編集者とのことだ。引用文献の数に圧倒される。これらを縦横に引用し、キー・パーソンへのインタビューを交えて、細野を立体的に描写することに成功している。細野の語られざる側面、過換気症候群に悩んだことや、それを契機とした精神世界への傾斜、にも切り込み、断片的な情報ではよくわからない点が整理されたように思う。「『HOSONO HOUSE』のころ、彼はシリアスな状況にあり、不安や恐怖から逃れるためには、心構えや生き方を変えなければいけなかった。より楽天的になる必要があった。そんなときに彼を手助けしたのがエキゾチック・サウンドだった。」(261ページ)そう、私が細野さんに惹かれるのは、その楽天性にあった!
だが、細野にはこんな側面もあったようだ。松本隆は「風をあつめて」のレコーディングを振り返って、こう語っている。「細野さんに『大滝さんは?』って聞いたら、必要ないから呼ばなかったって。悪気はまったくないんだよね、あの人。細野さんは自分のやりたいことしかない人だからさ。でも大滝さんはそういうことに傷ついて、結局解散に向かっていくんだけど。」(153ページ)忌野清志郎は細野をこう評している。「細野さんの声は低音だ。いい声をしている。みんなその声に翻弄されてか、おとなっぽい人だと思っていると思うが、実はスゴーイ子供っぽいのだ。実生活に決して適さないタイプの人なのだ。」(395ページ)
最近、ロング・バケーション40周年ということで大きく扱われている大滝詠一だが、大滝が亡くなる少し前に、細野が「手伝うから、曲を作ろうよ」と人づてに働きかけたことが本書でも語られる。陳腐な言いかたになるが、細野も大滝も根底にあるのは音楽への愛だったと思う。こども時代に聞いたアメリカン・ポップ・ミュージックを愛し、それを再発見していくことが彼らの成長期であり、二人はなくてはならない仲間だったのだ。その後ライバル関係になり、作る音楽も異なっていったが、音楽を獲得していった経験、「メンター・チェーン」で描かれた自身の黄金時代が、彼らの探求の推進力となったのではないだろうか。お互いの黄金時代の記憶にお互いが存在する、そんないわくいいがたい関係にあったのでは。

聖断 昭和天皇と鈴木貫太郎 (PHP文庫)半藤 一利 2006.8

聖断 昭和天皇と鈴木貫太郎の通販/半藤 一利 PHP文庫 - 紙の本:honto本の通販ストア

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評伝田中清玄 昭和を陰で動かした男 大須賀瑞夫著 倉重篤郎編集 勉誠社 2017年2月 - いもづる読書日記

最近(2021.1.12)に亡くなった半藤一利の著書。鈴木貫太郎が"大人物"であったことが描かれるが、むしろ主人公は昭和天皇かもしれない。
「それは戦争を終結させるために、あえて憲法の運用上のルールを破ろうという緊急非常の手段であった。これまでの憲法のルールによれば、天皇には国家機関が決定することに拒否権はない。(中略)だが、そのルールを破り、大元帥命令によって軍をおさえ、国の方針を天皇の意志によって決したらどうなるか。必然的に天皇にして大元帥に全責任が生じてくる。しかし、天皇に責任を負わすことはできぬ。ということは、成否にかかわらず、もしこの方式を採用すれば、輔弼の最高責任者たる総理大臣は一命を投げだしてかからねばならぬ。(中略)鈴木首相はそこまでの覚悟をきめた。徹底抗戦という軍事上の決定ーつまり統帥権にまで、責任のない政府が土足で踏み入り、すべてをご破算にし、戦争を終結させるためには、天皇の大権を天皇自身に駆使してもらうしかない。”聖断”である。」
極めて論理的で現実的だが、本当に一命を賭す覚悟が必要だったことはよくわかる。自縄自縛的に戦争を止められなかった政府、軍部は現代日本の「決められない病」に通ずるところもある。外から見れば「何やってんだろう」というところだ。それが日本人ということか。

メンター・チェーン ノーベル賞科学者の師弟の絆 ロバート・カニーゲル 工作舎 2020.12

メンター・チェーン/工作舎

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海外で研究者になる: 就活と仕事事情 中公新書 増田直紀 中央公論新社 2019/06/25 - いもづる読書日記

亀和田武さんだったか、中島梓さんだったか、「第一次SF黄金時代はいつか?」という小噺を書かれていたことがあった。H.G.ウェルズとかアイザック・アシモフとか名前が挙がるが、記憶が確かなら正解は「12歳」だそうだ。人間が自己形成期を忘れないように、研究者も研究者としての自己形成期を忘れない。そしてその記憶は師匠(メンター)とともにある。
本書は設立当初のNIH周辺を舞台に、科学者の師匠と弟子を、つづいていく鎖のような関係と捉えた本。科学者を扱った本としてはエブリン・フォックス ケラー「動く遺伝子」(晶文社 1987/11/15)に匹敵する面白さだった。たまたま自分が専攻していた領域に近かったこともあって、楽しく読んだ。訳文も極めて適切と思う。"radioactivity"を「放射活性」と書くことを除いて(「放射能」であるべき)。カテコラミン代謝HPLCも無い時代に研究されていたのは驚きだ。冒頭にソロモン・スナイダーが師匠であるジュリアン・アクセルロッドの許で研究した時代を思い出すシーンが描かれる。それこそ彼の「黄金時代」であったに違いない。
「『NIHが医学研究のメッカであると言われる理由がここにあります。』と米国軍保健衛生大学(USUHS)の薬理学部長であるルイス・アナロウは、身振りでベセスダのロックヴィル・パイクの両側に広がるNIHの建物群を示しながら言った。『現在、英語が世界で科学の公用語になっているのは、理由があります。それはジェームズ・シャノンです。』」(42ページ)時代が変わっていく瞬間もまた別の「黄金時代」かもしれない。

霧の彼方 須賀敦子 若松英輔著 2020年06月26日 集英社

 

霧の彼方 須賀敦子 | 集英社 文芸ステーション

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親鸞への接近 四方田犬彦 工作舎 2018/8/24 - いもづる読書日記

書き換えられた聖書 バート・D・アーマン 著 ちくま学芸文庫 2019/06/10 - いもづる読書日記

殉教 日本人は何を信仰したか? (光文社新書) 山本博文 光文社 2014/07/04 - いもづる読書日記

誰が星の王子さまを殺したのか――モラル・ハラスメントの罠 安冨歩 明石書店 2014/8/29 - いもづる読書日記

飛行機の中で「ヴェネツィアの宿」を読んだことがある。着陸とともに父君が亡くなるエンディングを迎えた。須賀敦子を読むとしばらく頭が占領される。思いが並外れて強く、紙幅を超えて伝染してくるような気がする。思いの強さがキリスト教の所為とは思わないが、彼女の思いにこたえてくれるのがキリスト教だった、コルシア書店に象徴される運動体だったのは確かだった。
本書は須賀敦子がどのような思想的背景から生まれたかを解説してくれる。「没後に『全集』が刊行され、須賀とカトリックの関係は文献上からも明らかになった。しかし、彼女の生前は状況が違った。これまで見てきた通り、須賀は二十世紀中盤、激動するカトリックの世界のありようをなまなましく目撃してきた人物だった。フランス、ローマ、ミラノで彼女はカトリックという霊性が、他の宗教、他の霊性に開かれていく動きを見ただけでなく、それを作り出す側のひとりでもあった。」(457ページ)

宗教は頭が作り出す現象、人工物でありながら、(日本でいうところの)民俗学的な背景がないと正当性が保てないのかもしれない。日本のようなヨーロッパの伝統から遠い世界では、骨皮筋衛門ではあるが、論理的なプロテスタントの方がアプローチしやすい。須賀のおもいの深さにはなかなか届かない。

僕の音、僕の庭 ─鑑式音楽アレンジ論 井上 鑑 著 2011/08/08 筑摩書房

筑摩書房 僕の音、僕の庭 ─鑑式音楽アレンジ論 / 井上 鑑 著

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ブライアン・イーノ エリック・タム 水声社 1994/06 - いもづる読書日記

井上鑑といえば大瀧詠一"NIAGARA SONG BOOK"のアレンジを手掛け、萩原哲晶先生に「二枚目サウンド」と評された方だ。桐朋学園大学で三善明に師事、寺尾聡「ルビーの指環」で日本レコード大賞編曲賞という経歴は知らなかった。ほぼ雑文集だが、現代音楽からポップスまで目配りの効いたセンスの良い評論が続く。一つ一つが短いのが残念だ。ポーツマスシンフォニアフランク・ザッパあたりが面白かった。坂本龍一をどう思っているのだろうか?

男も女もみんなフェミニストでなきゃ チママンダ・ンゴズィ・アディーチェ 著 河出書房新社 2017.04.18

男も女もみんなフェミニストでなきゃ :チママンダ・ンゴズィ・アディーチェ,くぼた のぞみ|河出書房新社

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女たちのテロル ブレイディみかこ著 岩波書店 2019/05/30 - いもづる読書日記

1977年ナイジェリア生まれ、母国とアメリカで活躍する作家のTED講演。森喜朗問題があったので時宜を得た読書であった。ナイジェリアの後進性が縷々描かれるが、日本のジェンダーギャップ指数(2020年)は121位と、ナイジェリア(128位)と大差がない。顕在化せず真綿で首を絞めるような差別は日本の方が始末に悪いように思える。