ザ・レインコーツ──普通の女たちの静かなポスト・パンク革命 ジェン・ペリー著 2021/11/26 Pヴァイン

ジェン・ペリー(著)坂本麻里子(訳)『ザ・レインコーツ──普通の女たちの静かなポスト・パンク革命』 – P-VINE OFFICIAL SHOP

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プリーズ・キル・ミー Garageland Jam Books レッグス・マクニール著 メディア総合研究所 2007.9 - いもづる読書日記

花の命はノー・フューチャー ─DELUXE EDITION ブレイディ みかこ 著 ちくま文庫 2017/06/06 - いもづる読書日記

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女パンクの逆襲──フェミニスト音楽史 | ele-king

レインコーツは聞いたことがなかった。スリッツと同系統のバンドと思っていた。意識し出したのはリーダーのアナ・ダ・シルバがPhewとシンセの作品を作っていたことを知ってからだ。あらためて作品を聞くと最もポストパンク的なバンドであることがよくわかる。まるで人類が音楽を発見した瞬間を幻視するようだ。本書を書いたジェン・ペリーにとっても欠くことのできないバンドだったのだろう。
で、本編では触れられていないことが重要と思われる。野田努氏による「補足」にある通り、アナとジーナはバンドを継続している。YouTubeでは”in Dan Graham’s Stage"という動画を見ることができる。おばさんになった彼女たちは驚くほど瑞々しい。活動を継続すること、ルーチンに堕さず実験精神を持ち続けること、DIY、シスター・フッドーー。ポスト・パンクの中心には女性がいて、時代の精神を体現している。これは一つの奇跡だと思う。

「ザ・レインコーツ」の初回プレスにはグリーン・ガートサイドによる言葉「神話とメロディの構築と脱構築 (Construction and Deconstruction of Myth and Melodies) 」がフィーチャーされていたそうだ。

ぼくはあと何回、満月を見るだろう 坂本龍一 2023/06/21 新潮社

坂本龍一 『ぼくはあと何回、満月を見るだろう』 | 新潮社

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村上龍と坂本龍一 : 21世紀のEV.Café 村上龍、坂本龍一 スペースシャワーブックス 2013年3月 - いもづる読書日記

音楽と生命 坂本龍一 福岡伸一 集英社 2023年3月24日 - いもづる読書日記

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坂本図書

坂本龍一のメディア・パフォーマンス | 動く出版社 フィルムアート社

高橋幸宏細野晴臣を天才、坂本龍一は秀才と位置付けていた。天才を狂気と読みかえると、晩年の坂本にもそうしたノイズが現れていたような気がする。本書の最もエモーショナルな部分は、小津安二郎の映画が直視できないと述べた部分で、それにつづき、「きっと、この光景はもうどこにも存在しないのだという『非在』の感覚が、どうしようもないほど郷愁を誘ってしまうからでしょう。ブルーズは19世紀後半に、奴隷としてアメリカに強制的に連れて来られた黒人たちが築き上げた音楽ジャンルですが、不思議なことに、彼らの出自であるアフリカの国々にはブルーズのような音楽はない。既に失われてしまった故郷へのノスタルジアが新たな文化を生んだのですね。」(154ページ)と語っている。極めて知的な処理だが、細野はブルーズの発見を自らの体内に取り込んで再生産してしまうような凄みがある。一人になった細野さんから目が離せない。

老化とは何か 今堀和友著 岩波新書新赤版297 1993/09/20 

老化とは何か - 岩波書店

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アルツハイマー征服 下山進 KADOKAWA 2021年01月08日 - いもづる読書日記

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アルツハイマー病研究、失敗の構造 | みすず書房

坂本龍一 『ぼくはあと何回、満月を見るだろう』 | 新潮社

 糸井重里(74)と谷川俊太郎(92)の対談を読んでいて(第2回 「俺は若い」とは言いたくない。 | 詩人の気持ち。 | 谷川俊太郎さん | ほぼ日刊イトイ新聞)「老いてても元気、とか、老いるのはつらい、という本はいくつもあるんだけど、もっとふつうに、『だんだん衰えていく』というのを読みたいんだけどさ。」とあった。ではまず、私の現在地を書いてみようかと思った。最近、感じるところが多いので。
 今年は高橋幸宏坂本龍一が相次いで亡くなった。最近は長生きの人が多いので、比較的早いといえるだろうが、それでも自分よりひと世代うえの方が亡くなるようになったのは実感される。そう、ぼくは1961年生まれの今年62歳だ。まだ、老け込むような歳ではないが、老化は感じる。今日書きたいのは主にふたつだ。足のことと目のこと。いかにも老人だ。
 ここ5年くらいジョギングを楽しんでいた。と書いたところで、ん?と思って、エクセルを開いてみた。7年だ。初年は年間500kmだった。去年は初めて1000kmを超えた。でも、今年4月のマラソンは散々だった。これまで、フルマラソンに3回チャレンジして一度も完走できない。マラソンの後、しばらく走らなかった。そう3ヶ月くらい。何度か再スタートしようとしたが、10km走るのも苦労するようになった。特に走った翌日はほぼダメだ。疲れが抜けないのだ。9月になったので、暑さは和らいでいくことだろう。涼しくなることを楽しみに、無理なく、粘り強く走り始めよう。でも、フル完走はもう無理じゃないかと思っている。
 お盆にコロナにかかった。解熱剤のおかげもあって、2日間で熱も下がり、本が読めるようになった。私は近眼なので、度の弱い遠近両用メガネを老眼鏡と称しているが、この老眼鏡ばかりかけていると、そちらの方が楽になった。世間と隔絶し、視界のボヤけた生活をしていたら、「それでいいや」という気分になっている。多分、5年後にこの文章を読んだら、何にもわかっていなかったと思うに違いない。
 「老化とは何か」を再読して、よくまとまった好著だと再認識したが、初回(2000年前後だったと思う)のような感銘は受けなかった。1993年に老化はフロンティアだったのだが、この30年間行政は何をしていたのかと思う。ひとつは1997年の介護保険の導入、もうひとつのメルクマールは本年のアルツハイマー病治療薬の認可であろう。いずれも大きな一歩には違いない。でも、これらで高齢化社会のイメージが明るくなった感じはしない。本書は老化という生物現象をいくつかの切断面で明らかにしていて、論点はシャープに整理されている。にもかかわらず、対策といえば「自分のことは何としてでも自分でやろう」(196ページ)といったわかりやすいところに落ち着いてしまうのが残念だ。本書は品切れということだが、古くなった用語法をあらためて、改定新版が出ることを希望します。

 

サッカーと人種差別 文春新書 陣野俊史 文藝春秋 2014/7/18

文春新書『サッカーと人種差別』陣野俊史 | 新書 - 文藝春秋BOOKS

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1984年のUWF 柳澤健 文藝春秋 2017/01/27 - いもづる読書日記

「風と共に去りぬ」のアメリカ―南部と人種問題 (岩波新書) 青木冨貴子 岩波書店 1996/04/22 - いもづる読書日記

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『レ・ブルー黒書――フランス代表はなぜ崩壊したか』(ヴァンサン・デュリュック,結城 麻里)|講談社BOOK倶楽部

冒頭、1998年のフランスワールドカップで優勝したフランス代表についてこんな風に書かれている。「優勝後のシャンゼリゼ通りは数百万の人が埋め尽くした。(中略)フランスはそのときすでに多くの人種や民族を抱えていたが、その見事なまでの融合の象徴が、98年フランス・ワールドカップ優勝チームだと言われた。(中略)いまは別の見方ができる。フランスは1993年以後、移民規制の法律を整備していた。段階的に規制を厳しくして、いちおう完結をみたのが、ちょうどフランス・ワールドカップの頃だった。(中略)フランス社会は外に対して扉を閉じつつあった。(中略)だからこそ、シャンゼリゼは人で溢れたのではなかったか。(中略)息苦しくなる社会を蹴っ飛ばすような壮挙だったからこそ、人々はお祭り騒ぎになったのではないか。」(19ページ)ここを起点に、多くのプレイヤーが差別を被った事績が経年的に列挙されていく。ダニエウ・アウベスが投げつけられたバナナを食べた一件は私も記憶がある。
解決策として著者は「コスモポリタンのレッスン」を提言する。イビツァ・オシムが、ボスニア・ヘルツェゴビナを構成するムスリム系、セルビア系、クロアチア系を融和させた役割に注目する。ここでオシムはどの民族にも属さない「コスモポリタン」であったと。「サッカー好き」を共通項に、理解し合い、支え合うコスモポリタンになって行こうと。

日本社会のしくみ 雇用・教育・福祉の歴史社会学 小熊英二 講談社現代新書 2019年07月17日

『日本社会のしくみ 雇用・教育・福祉の歴史社会学』(小熊 英二):講談社現代新書|講談社BOOK倶楽部

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日本が世界一「貧しい」国である件について 谷本真由美(@May_Roma) 祥伝社 2013/ 4/1 - いもづる読書日記

時給はいつも最低賃金、これって私のせいですか?国会議員に聞いてみた。和田靜香著 小川淳也取材協力 2021/9/5 左右社 - いもづる読書日記

「学歴エリート」は暴走する 「東大話法」が蝕む日本人の魂 講談社+α新書 安冨歩 2013年06月21日 - いもづる読書日記

小熊英二社会学者なのか?歴史学者なのか?いずれにせよ、近現代の日本をターゲットに、「単一民族神話の起源」、「〈民主〉と〈愛国〉」など膨大な史料を駆使して、先入観を打破するような仕事を続けている。近年の収穫は「1968」だった。若造だった頃、呉智英のブックガイド本で網野善彦阿部謹也を猛プッシュしていたが、私が今同じようなことをするなら、小熊英二を推すことになるだろうな、読むのは大変だけど。
本書は終身雇用制、年功序列で特徴付けられる日本の雇用制度が、社会の全体を規定するものではない(1/3程度)、それほど古い起源を持っているものではないこと、様々な事情で成立したことを、膨大な史料を駆使して明らかにしている。最終章で著者はこのように述べる。「だが、こうした『しくみ』は、経営側の意向だけではなく、『社員の平等』を志向した労働者たちの合意によって形成されたものでもあった。(中略)アメリカの労働者たちは、職務がなくなれば一時解雇されることを受け入れ、職員と現場労働者の間に階級的な断絶があることを受け入れた。一方で日本の労働者たちは、経営の裁量で職務が決まることを受け入れ、他企業との間に企業規模などによる断絶があることを受け入れたのである。」(563ページ)「これまでも日本の雇用慣行の改革は叫ばれたが、その多くは失敗した。なぜかといえば、新しい合意が作れなかったからである。1990年以降の『成果主義』も労働者の合意が得られないため、士気の低下や離職率の増大を招き、中途半端に終わることが多かった。」(570ページ)「だがそうはいっても、社会を構成する人々が合意しなければ、どんな改革も進まない。日本や他国の歴史は、労働者が要求を掲げて動き出さないかぎり、どんな改革も実質化しないことを教えている。そうである以上、改革の方向性は、その社会の人々が何を望んでいるか、どんな価値観を共有しているかによって決まる。」(576ページ)
日本人の決められない病の病根は、症状の対象化、文節化が不十分であることではないだろうか。本書の方法論である、堅固なデータによる客観的な評価は、病に立ち向かう勇気を与えてくれるだろう。敵を設定して攻撃すれば事足りるような単純な考えに陥らないようにしたいものだ。

村上龍と坂本龍一 : 21世紀のEV.Café 村上龍、坂本龍一 スペースシャワーブックス 2013年3月

村上龍と坂本龍一 : 21世紀のEV.Café 伊藤 穣一(著/文) - スペースシャワーブックス : スペースシャワーネットワーク | 版元ドットコム

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音楽と生命 坂本龍一 福岡伸一 集英社 2023年3月24日 - いもづる読書日記

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坂本龍一 『ぼくはあと何回、満月を見るだろう』 | 新潮社

本書に先立つEV.Café超進化論は1985年刊だったようだ。大分影響を受けたと記憶している。本書は2013年刊だが、1998〜1999年に行われた対話に、2000年、2012年の対話を加えてエディットされている。本書がスペースシャワーから発刊されているのも象徴的なように思う。時代や年齢を反映して苦い感慨も示されるが、二人の龍の基調音は下記かなと思う。「村上:でも為替は面白いってみんなが思ってるみたいで俺も何となくわかる。たぶんそれは政治から自由だからだと思うのね。どんな政治家だって、為替マーケットにはかなわないからさ。」(146ページ)バブル世代のエピキュリアニズムとも言えるし、資本の論理に対する諦念とも捉えられる。

古代史疑増補新版 松本清張 中公文庫 2017/2/21

古代史疑 -松本清張 著|文庫|中央公論新社

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倭国の時代 岡田英弘 筑摩書房 2009/02/01 - いもづる読書日記

TOKYO REDUX 下山迷宮 デイヴィッド・ピース 2021年08月24日 文藝春秋 - いもづる読書日記

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松本清張〈倭と古代アジア〉史考:アーツアンドクラフツ

日本の黒い霧 - Wikipedia

原著は1968年に出版され話題になったらしい。興味深い点は多々あるが、卑弥呼の立体的な造形がいかにも作者らしい。魏志東夷伝から朝鮮各地に鬼神を祀る風習があることを指摘した上で、「こうした天を祭る習俗は北方から、シベリア、蒙古、満州、朝鮮、日本へと入ってきたのだろう。このルートは、ウラル・アルタイ系のツングース語文法の道と一致する。」(118ページ)「長い間抑圧された憂鬱不活潑な陰性状態から急に解放された爆発的活動は、陽性状態となり、巫事を行うことで癒るという。こうした巫行をロシヤの女流民族学者ツァップリカは北極ヒステリーと命名しているという。」(120ページ)シベリアのシャーマニズム音楽を思った。
結語も終わり近くなって、やや唐突に江上波夫、水野祐の「騎馬民族説」へのシンパシーが語られる。「(水野説では)騎馬民族の侵入は南九州に向って行われ、そこに狗奴国という一部族連合国家を形成した。これが女王国を制し、九州に『九州国家』といったものをひとまず作った。それは応神天皇の時代であったろう。そして大和には前からの古い国家であるところの崇神王朝があった。(中略)継体によって初めて二つの異系が統一されたではないかという前提に立つ」(250ページ)騎馬民族征服説は、戦後という解放期を背景に興ったと言われるが、保守化した現在の言論界でこうした思い切った言挙げが可能か疑問だ。ところで、「日本の黒い霧」も読みたい。