サッカーと人種差別 文春新書 陣野俊史 文藝春秋 2014/7/18

文春新書『サッカーと人種差別』陣野俊史 | 新書 - 文藝春秋BOOKS

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1984年のUWF 柳澤健 文藝春秋 2017/01/27 - いもづる読書日記

「風と共に去りぬ」のアメリカ―南部と人種問題 (岩波新書) 青木冨貴子 岩波書店 1996/04/22 - いもづる読書日記

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『レ・ブルー黒書――フランス代表はなぜ崩壊したか』(ヴァンサン・デュリュック,結城 麻里)|講談社BOOK倶楽部

冒頭、1998年のフランスワールドカップで優勝したフランス代表についてこんな風に書かれている。「優勝後のシャンゼリゼ通りは数百万の人が埋め尽くした。(中略)フランスはそのときすでに多くの人種や民族を抱えていたが、その見事なまでの融合の象徴が、98年フランス・ワールドカップ優勝チームだと言われた。(中略)いまは別の見方ができる。フランスは1993年以後、移民規制の法律を整備していた。段階的に規制を厳しくして、いちおう完結をみたのが、ちょうどフランス・ワールドカップの頃だった。(中略)フランス社会は外に対して扉を閉じつつあった。(中略)だからこそ、シャンゼリゼは人で溢れたのではなかったか。(中略)息苦しくなる社会を蹴っ飛ばすような壮挙だったからこそ、人々はお祭り騒ぎになったのではないか。」(19ページ)ここを起点に、多くのプレイヤーが差別を被った事績が経年的に列挙されていく。ダニエウ・アウベスが投げつけられたバナナを食べた一件は私も記憶がある。
解決策として著者は「コスモポリタンのレッスン」を提言する。イビツァ・オシムが、ボスニア・ヘルツェゴビナを構成するムスリム系、セルビア系、クロアチア系を融和させた役割に注目する。ここでオシムはどの民族にも属さない「コスモポリタン」であったと。「サッカー好き」を共通項に、理解し合い、支え合うコスモポリタンになって行こうと。

日本社会のしくみ 雇用・教育・福祉の歴史社会学 小熊英二 講談社現代新書 2019年07月17日

『日本社会のしくみ 雇用・教育・福祉の歴史社会学』(小熊 英二):講談社現代新書|講談社BOOK倶楽部

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日本が世界一「貧しい」国である件について 谷本真由美(@May_Roma) 祥伝社 2013/ 4/1 - いもづる読書日記

時給はいつも最低賃金、これって私のせいですか?国会議員に聞いてみた。和田靜香著 小川淳也取材協力 2021/9/5 左右社 - いもづる読書日記

「学歴エリート」は暴走する 「東大話法」が蝕む日本人の魂 講談社+α新書 安冨歩 2013年06月21日 - いもづる読書日記

小熊英二社会学者なのか?歴史学者なのか?いずれにせよ、近現代の日本をターゲットに、「単一民族神話の起源」、「〈民主〉と〈愛国〉」など膨大な史料を駆使して、先入観を打破するような仕事を続けている。近年の収穫は「1968」だった。若造だった頃、呉智英のブックガイド本で網野善彦阿部謹也を猛プッシュしていたが、私が今同じようなことをするなら、小熊英二を推すことになるだろうな、読むのは大変だけど。
本書は終身雇用制、年功序列で特徴付けられる日本の雇用制度が、社会の全体を規定するものではない(1/3程度)、それほど古い起源を持っているものではないこと、様々な事情で成立したことを、膨大な史料を駆使して明らかにしている。最終章で著者はこのように述べる。「だが、こうした『しくみ』は、経営側の意向だけではなく、『社員の平等』を志向した労働者たちの合意によって形成されたものでもあった。(中略)アメリカの労働者たちは、職務がなくなれば一時解雇されることを受け入れ、職員と現場労働者の間に階級的な断絶があることを受け入れた。一方で日本の労働者たちは、経営の裁量で職務が決まることを受け入れ、他企業との間に企業規模などによる断絶があることを受け入れたのである。」(563ページ)「これまでも日本の雇用慣行の改革は叫ばれたが、その多くは失敗した。なぜかといえば、新しい合意が作れなかったからである。1990年以降の『成果主義』も労働者の合意が得られないため、士気の低下や離職率の増大を招き、中途半端に終わることが多かった。」(570ページ)「だがそうはいっても、社会を構成する人々が合意しなければ、どんな改革も進まない。日本や他国の歴史は、労働者が要求を掲げて動き出さないかぎり、どんな改革も実質化しないことを教えている。そうである以上、改革の方向性は、その社会の人々が何を望んでいるか、どんな価値観を共有しているかによって決まる。」(576ページ)
日本人の決められない病の病根は、症状の対象化、文節化が不十分であることではないだろうか。本書の方法論である、堅固なデータによる客観的な評価は、病に立ち向かう勇気を与えてくれるだろう。敵を設定して攻撃すれば事足りるような単純な考えに陥らないようにしたいものだ。

村上龍と坂本龍一 : 21世紀のEV.Café 村上龍、坂本龍一 スペースシャワーブックス 2013年3月

村上龍と坂本龍一 : 21世紀のEV.Café 伊藤 穣一(著/文) - スペースシャワーブックス : スペースシャワーネットワーク | 版元ドットコム

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音楽と生命 坂本龍一 福岡伸一 集英社 2023年3月24日 - いもづる読書日記

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坂本龍一 『ぼくはあと何回、満月を見るだろう』 | 新潮社

本書に先立つEV.Café超進化論は1985年刊だったようだ。大分影響を受けたと記憶している。本書は2013年刊だが、1998〜1999年に行われた対話に、2000年、2012年の対話を加えてエディットされている。本書がスペースシャワーから発刊されているのも象徴的なように思う。時代や年齢を反映して苦い感慨も示されるが、二人の龍の基調音は下記かなと思う。「村上:でも為替は面白いってみんなが思ってるみたいで俺も何となくわかる。たぶんそれは政治から自由だからだと思うのね。どんな政治家だって、為替マーケットにはかなわないからさ。」(146ページ)バブル世代のエピキュリアニズムとも言えるし、資本の論理に対する諦念とも捉えられる。

古代史疑増補新版 松本清張 中公文庫 2017/2/21

古代史疑 -松本清張 著|文庫|中央公論新社

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倭国の時代 岡田英弘 筑摩書房 2009/02/01 - いもづる読書日記

TOKYO REDUX 下山迷宮 デイヴィッド・ピース 2021年08月24日 文藝春秋 - いもづる読書日記

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松本清張〈倭と古代アジア〉史考:アーツアンドクラフツ

日本の黒い霧 - Wikipedia

原著は1968年に出版され話題になったらしい。興味深い点は多々あるが、卑弥呼の立体的な造形がいかにも作者らしい。魏志東夷伝から朝鮮各地に鬼神を祀る風習があることを指摘した上で、「こうした天を祭る習俗は北方から、シベリア、蒙古、満州、朝鮮、日本へと入ってきたのだろう。このルートは、ウラル・アルタイ系のツングース語文法の道と一致する。」(118ページ)「長い間抑圧された憂鬱不活潑な陰性状態から急に解放された爆発的活動は、陽性状態となり、巫事を行うことで癒るという。こうした巫行をロシヤの女流民族学者ツァップリカは北極ヒステリーと命名しているという。」(120ページ)シベリアのシャーマニズム音楽を思った。
結語も終わり近くなって、やや唐突に江上波夫、水野祐の「騎馬民族説」へのシンパシーが語られる。「(水野説では)騎馬民族の侵入は南九州に向って行われ、そこに狗奴国という一部族連合国家を形成した。これが女王国を制し、九州に『九州国家』といったものをひとまず作った。それは応神天皇の時代であったろう。そして大和には前からの古い国家であるところの崇神王朝があった。(中略)継体によって初めて二つの異系が統一されたではないかという前提に立つ」(250ページ)騎馬民族征服説は、戦後という解放期を背景に興ったと言われるが、保守化した現在の言論界でこうした思い切った言挙げが可能か疑問だ。ところで、「日本の黒い霧」も読みたい。

日本が世界一「貧しい」国である件について 谷本真由美(@May_Roma) 祥伝社 2013/ 4/1

日本が世界一「貧しい」国である件について :BOOK SHOP 小学館

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\食品の裏側 安部司 2005年10月28日 東洋経済新報社 - いもづる読書日記

安いニッポン 「価格」が示す停滞 (日経プレミアシリーズ) 中藤玲 著 2021年03月10日 - いもづる読書日記

Twitter(X)で健筆をふるうMay_Romaさん、本書は2013年刊だが、2016年に祥伝社黄金文庫で再刊されているらしい。結構、図書館でも人気で、次々出ている新刊はなかなか読めない。10年前の著作なので、内容は流石に古いが、まだ半信半疑だった「貧しい日本」が今では誰も疑わなくなっているのに時代を感じる。
日本社会が特殊だという論はそれ自体が需要がある。張り巡らされた自縄自縛の息苦しさをやり過ごさなければならないからだ。本書の前半で繰り返される「労働は手段であって目的ではない」という考えは、それ自体が労働を持続する効力を持っていると思う。ただ、「欧米では」という括りが粗雑だということはコロナ禍が浮き彫りにした。知っている範囲でもアメリカとイギリスの保健行政が大きく異なること、問題点は多いにせよ日本の健保制度がそれなりによくできていることが、今回解った。でもまあ、国内生活が永い私だが、著者の主張には概ね賛成。

音楽と生命 坂本龍一 福岡伸一 集英社 2023年3月24日

音楽と生命/坂本 龍一/福岡 伸一 | 集英社 ― SHUEISHA ―

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少年とアフリカ 坂本龍一 天童荒太 文春文庫 2004年04月06日 - いもづる読書日記

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坂本龍一 『ぼくはあと何回、満月を見るだろう』 | 新潮社

奥付けでは3/29発行になっている、亡くなった次の日だ(報道されたのは4/1)。本書の内容は2017年のNHKのSwitchインタビューなので、対談が行われたのはその頃。センスの良い製本で、題材の選択とともに良質の知性がアピールされている。
坂本龍一の「緩慢な死」について考えていた。しばらく前から「終活」然とした活動を繰り返していたからだ。おそらく、それを「緩慢な死」と呼ぶのは間違っていた。坂本は強い意志をもって見事な晩年を生きたのだ。最後に見せたピアノ独奏は見事だった。自分の至った境地を示すということからすれば、グレン・グールドに比肩するパフォーマンスだった。それをきちんと現代の技術で配信し、マネタイズしてみせたのは坂本の面目躍如だった。デヴィッド・ボウイは自らの死を予見しながら、大傑作である遺作「ブラック・スター」を制作した。いかにもボウイらしい、けれん味に満ちた最期だった。坂本がこれを意識しなかったとは思われない。現代の芸術は資本主義と無縁に生きることはできない。ロックはこの点に最も自覚的な表現だ。ロックは反逆を歌いながら、その歌を売ることに矛盾を感じない。これがポスト資本主義のダイナミズムだ。バブル経済の唯一の遺産かもしれない。坂本の和声にクロード・ドビュッシー武満徹の影響を見出すことは容易い。しかし、その一方で坂本はロックの音楽的な暴力性を、暴力の持つ可能性を正しく理解していた。「現代音楽」が終わった世界で、音楽が何が出来るかを模索したのが、坂本だった。彼自身をプロダクトにすることによって、資本主義に抗していける、違うな、海を泳いで行けることを示した。それ自体が表現だった。

B.C.1177 ─古代グローバル文明の崩壊 エリック・H・クライン著 2018/01/25 

筑摩書房 B.C.1177 ─古代グローバル文明の崩壊 / エリック・H・クライン 著, 安原 和見 著

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海の地政学──海軍提督が語る歴史と戦略 ジェイムズスタヴリディス 早川書房 2017/09/07 - いもづる読書日記

かくしてモスクワの夜はつくられ、ジャズはトルコにもたらされた 二つの帝国を渡り歩いた黒人興行師フレデリックの生涯 白水社 ウラジーミル・アレクサンドロフ 著 2019/09/26 - いもづる読書日記

エーゲ 永遠回帰の海 立花 隆 著 , 須田 慎太郎 写真 筑摩書房 2005/11/1 - いもづる読書日記

紀元前12世紀に後期青銅器文明が終焉した。「主たる客観的事実 1数多くの独自の文明が、前15世紀から13世紀にかけてエーゲ海・東地中海で繁栄した。ミュケナイおよびミノア、ヒッタイト、エジプト、バビロニアアッシリア、カナン、キュプロスがそれである。これらは独立していたが、とくに国際貿易ルートを通じてたえず相互作用をおこなっていた。2明かに、前1177年ごろかその直後に、エーゲ海、東地中海、エジプト、近東において、多くの都市が破壊され、当時の人々が知っていたような後期青銅器時代の文明と生活は終わりを告げた。3これまでのところ(中略)なにがこの大惨事を引き起こし、ひいては文明の崩壊と後期青銅器時代の終焉をもたらしたのかはわかっていない。」(249ページ)この原因として、地震、飢饉、内乱、侵入者、国際交易の損害を挙げられるが、いずれの原因も単独で文明の崩壊を説明できない。著者は「複雑系理論」で説明できるかもしれないと考えている。また、「全域にわたる黙示録的な終末を想像するよりも(中略)後期青銅器時代の末は、混沌とした、しかしゆるやかな崩壊の時代であったと考えるほうが適当かもしれない。」(255ページ)という著者の指摘も重要である。「侵入者」は「海の民」と称されるが、その来歴もまたわかっていない。かつていわれたドーリア人の南下は後年のことであり、文明崩壊とはなんの関係もない。海の民にはイタリア半島南部の出身者が交じっていた形跡が指摘されているが、「さまざまな地域から集まってきた海上の敵」(237ページ)でありその文化は折衷的だったという考えもある。この時代は地中海の西部は後進地域だったのだろう。